高校野球芸人としても知られ、年間約100試合を観戦するほどの芸人界きっての高校野球マニアである松竹芸能所属のピン芸人・かみじょうたけし。高校野球といえば「甲子園」ばかりが注目されがちであるが、かみじょう曰く「高校野球のメインステージは『地方大会』である」という。そんな彼が実際に球場へ足を運び、試合を観戦して、目撃したテレビには映らないドラマを紹介する。

 



みなさん、はじめまして!
松竹芸能のピン芸人、かみじょうたけしと申します。高校野球が大好きで、気づけば35年くらい球児を追いかけ続けています。現在では年間100試合以上は球場で生観戦、ちなみに劇場出演は年に8回くらい…かな?
どうかそっとしておいてください。

 

『地方大会』こそ、高校野球のメインステージ

「これまで観てきた甲子園でのベストゲームは?」。野球関連の取材では必ず聞かれる質問だ。2009年夏の決勝戦、中京大中京vs日本文理の試合だと答える。10ー4、中京大中京6点リードの9回ツーアウトランナーなしから日本文理が5点を奪い、あと一歩という所まで追い詰める試合だ。「日本文理の夏はまだ終わらない!」ABC朝日放送の小縣裕介アナウンサーの名実況を、毎夏どこかの高校野球特番で聴く度に思い出される夏の名勝負。
しかし、僕自身、甲子園大会は地方大会を勝ち抜いたチームへのボーナスステージだと考えている。夏の甲子園に出場できるのは記念大会でない限り49校。対してその狭き門を破ろうと挑戦する学校は、毎年減少傾向にあるものの、2023年夏で3486校もある。
つまり8月に何気なくテレビで目にする甲子園での熱戦は高校野球全体のわずか2%にも満たないという事になる。すなわち高校野球のメインステージは『地方大会』なのだ。

そこには甲子園とはまた違う数多くのドラマと学びがあると僕は思う。

「本気の野球は今日で最後です!毎朝5時からお弁当作ってくれたお母さん、いままでありがとう。」
思春期ど真ん中の野球部員が両親と抱きあって泣きくずれる。敗戦後に球場外で行われる引退式である。まさに『地方大会』でしか見られない光景だ。はたして高校時代に親に泣きながら感謝を伝えられる人がどのくらいいるだろうか。本気で取り組んだからこそ溢れ出る感謝の言葉と悔し涙。
普段は厳しい先輩のその姿に1年生部員は、驚きを隠せない様子でキョトンとしている。しかし、彼らも2年後には、先輩と同じようにお世話になった人の前で涙するのだ。たった2年半での人間的成長を間近で見せてもらえるのも地方大会ならではである。

 

親に感謝を伝える引退式の様子

球史に残る名勝負は『甲子園』だけとは限らない

夢への扉をひらく地方大会決勝ともなれば、甲子園では感じる事のない、熱気とはまた別の何か重苦しい空気が球場を包んでいる。
ちなみに直近の2023年夏で言えば、全国の地方大会決勝49試合中、25試合が1点差ゲーム、劇的な幕切れも多く、延長タイブレークの末に優勝が決まった試合は6試合。9回サヨナラゲームは6試合もあった。スタンドには、これまで倒してきたライバル達から託された千羽鶴が万羽千鶴となり両校の背中を押すのだ。

2014年夏の石川大会決勝、星稜vs小松大谷戦でとんでもないことが起きた。
8ー0と小松大谷が大量8点をリードして、星稜の9回裏の攻撃に入った。誰もが小松大谷の甲子園出場を疑わなかった。しかし8回まで2安打に抑えられていた星稜打線が大爆発、終わってみれば9点を取り大逆転で甲子園を決めたのだ。しかし高校野球史に語り継がれる逆転劇はこれで終わらない。負けた小松大谷野球部は、この敗戦を新チームの糧とするため「小松大谷泣くな」と見出しがついた翌日のスポーツ紙をグラウンドに貼り付け、負けそうな時には必ずその紙面を凝視した。
そして迎えた翌年、夏の石川大会準々決勝で両チームがもう一度対戦する。3ー0と星稜が3点リードしながら最終回に今度は小松大谷が4点をもぎ取り大逆転で勝利したのだ。小松大谷の木村投手は昨年のエース山下投手のグラブで決戦に挑んでいた。もしかすると、めざせ甲子園ではなく、打倒星稜で一年間積み上げてきたからこその勝利だったのかもしれない。まさに『地方大会』の魅力が全てつまったような試合だ。

 

テレビには映らないドラマが、球児の数だけ存在する。

 

決勝戦の後兄を見つめる少年

2021年夏の奈良大会、その日の第一試合、高田商業が7ー1で登美ケ丘・国際に勝利した。生観戦していた僕は、試合後に小学四年生の少年と出会った。
「かみじょうたけしやろ?高田商業のキャッチャーどう思う?」
どうやら僕を知ってくれてるみたいだ。
「ええキャッチャーやと思うよ!」
そう答えると嬉しそうににっこり笑った。どうやら自分のお兄ちゃんらしい。
「じゃ、将来は高田商業やな!」
しかし少年の答えは意外なものだった。
「行かへんよ。僕は智弁学園に行って甲子園に行くねん。今年も智弁が甲子園やで!」
「そこは高田商業て言えよw」

その日から少年とは度々球場で顔を合わせるのだが、何度聞いても彼の夢は智弁学園で甲子園へ行くことだった。そして迎えた奈良大会決勝のカードは、智弁学園vs高田商業。智弁学園にはその秋、阪神タイガースからドラフト指名される前川右京や、一年生から主戦で投げていた西村王雅、小畠一心が最終学年をむかえる智弁学園史上最強チームと言われていた。智弁学園は初回に6得点、このままワンサイドゲームも予想されたが、高田商業が粘りを見せ、6ー3で9回を迎えた。1点を返しツーアウトながら1、3塁のチャンス。長打が出れば同点という場面を作るも、あと一歩及ばず6ー4で智弁学園が甲子園を決めた。
試合後に降りだした雨は、高田商業の心模様をあらわしているようだった。
閉会式の後、球場横の広場で背番号2のそばを離れない少年を見つけた。
「兄ちゃんかっこよかったな」
声をかけた僕に少年は小さく呟いた。
「やっぱやめとくわ、僕は高田商業に行く」
それだけ言うとまたお兄ちゃんのもとに戻っていった。

兄のそばから離れない少年

誰にも知られる事のないドラマが球児の数だけ存在する。
実際、僕自身が高校野球にハマるきっかけも『地方大会』だった。
当時、実家の近所の学校が、兵庫大会準決勝まで勝ち進み、あと2回勝てば、「テレビで毎年やってる甲子園に行くのか?」と興奮。親父に頼みこみ、明石球場に連れていってもらった。当時地元淡路島には明石海峡大橋はなく、となり町の富島港から播淡汽船に乗り明石港へ、「いかなごど~でぇ~」魚の棚商店街に響く叫び声を背中に球場までの道のりを急いだのを今でもはっきりと覚えている。試合には負けてしまったが、普段では見れないお兄ちゃん達の懸命な姿に涙がとまらなかったし、この兄ちゃん達を倒したチームを観るために甲子園にも足を運んだ。
「M-1グランプリ」だってそうじゃないか。決勝戦に心震えるのは、それまでの道のりがあるからこそだ。

『地方大会』は人生なんだ。

また今年も心震わす戦いが全国各地で行われる。球児達の魂のぶつかり合いから目が離せない。
僕自身の『地方大会』をがんばるために。