俳優・東出昌大氏は、今、北関東の山奥で狩猟をおこないながら、いわば “半自給自足生活”を送っているのだという。そんな彼に、少々唐突ながらも、聞いてみた。「愛って、何なんでしょうね」と。本稿は、3時間ほどにも及ぶその取材記録であり、同時にこれは、彼が想う「愛」についての、独白的モノローグである。彼の暮らしについて、また、彼が抱く “狩猟生活への愛情” について、彼が抱く等身大な “偏愛” の姿を覗いてみよう。

 

“ままならないこと” の連続こそが、狩猟生活のおもしろみ

2021年11月から、山奥での狩猟生活をスタートした東出氏。その所以と、暮らしにまつわる事柄について、ざっくばらんに問うた。

 

東出昌大(以下、敬称略):俳優の東出昌大です。今回は “山での暮らしにまつわる偏愛” がテーマですが、まず大前提として、立派なことは言いたくないし、言う気もない。それを前提に話していきますね。

そもそもやっぱり、面白いのが、山での生活には “ままならないこと” がたくさんあるんですよ。雨が降れば狩猟にもいけないし、それはつまり、食べるものにありつけないということになりますよね。それに、たとえ晴れていたとしても、狩猟する対象の動物がいなければ、何も口にすることができない。自然ありきの生活は、自分ではどうしようもないことの連続なんですよね。

ただ、もちろん、悪いことばかりではないですよ。春になれば梅の花が綺麗に咲いて、夏になれば木々が青々と茂っていて。四季折々に、“想いを寄せられるもの” が立ち現れてくるんです。冬になれば雪が積もって、正直「どうしようかな……」と惑うこともあるんですが(笑)、それはそれで、綺麗だったりするんですよね。そこにも、愛情を持つことができるじゃないですか。

 

昔は、花を綺麗だと思うことなんて、全然なかったんです。ただ、年を重ねてきて、花の綺麗さになんとなく気付くようになってきたり。昔からアウトドアが好きだった、という理由だけで、ここに暮らしている訳ではないんですよね。

正直なことを言うと、昔の自分には、今よりもっともっと強い万能感がありました。「あのジジイどもに教えてもらうことなんかねぇよ、俺が世界の中心なんだから」ぐらいに思ってた(笑)。ただ、今こうして歳を重ねて、こんな場所で暮らしていると、学ぶことばっかりだと気付かされるんですよ。

例えば、農家さんが時折言うのが、「人生50年、50回しかチャンスが無いんだよ」という言葉。これにはいつもハッとさせられます。毎年1回の収穫を、その時々に起こる天災などを鑑みた上でならしてみると、チャンスは50回ほどしか与えられていない。彼らがそんなことを思いながら日々を暮らしてらっしゃるんだと思うと、 ものすごく学ぶところが多くて。いつもいつも、ずっと勉強させてもらっています。

 

 

“愛情を傾けられる対象”が、こっち(山)には、より多くあった

 

東出:そもそも、東京で暮らしているのよりも、愛情を傾けられる対象が、こっち(山)にはより多くあるんですよね。この場所で暮らしているのは、それがもっとも大きな理由かもしれません。生きる意味がなんだとか、考え始めるとキリが無いじゃないですか。ものすごく難しいし、答えなんか無いと思う。ただ、そこに “愛情を傾けられる対象” があると、暮らしがイキイキするんですよね。難しいことを考えず、ただただ目の前の暮らしに全力を向けられるから、です。

5PMのメディアが標榜するのは “偏愛” というテーマだと思いますが、僕、その “偏愛” がいっぱいあるんですよ。ここで暮らしていると、そういった類のものをたくさん見つけられるんです。偏った愛情を向けられる相手が、ものすごくたくさん見つかるんですよね。それに、長い人類の進化過程を見ていくと、別に山での暮らしは全然偏っていないと思うんですよ。もともと人類は、狩猟をしながら生きてきたんだから。逆に、都市での暮らしの方が、よっぽど偏ってるんじゃないかな、って思う。

 

スーパーマーケットに行けば、豚肉を買うことができますよね? でも、その肉を作るにあたっておこなわれる “屠殺” の現場を見たことがある人は、あまり多くないはず。豚、鶏、牛を飼育して、屠殺して食べることは、分業制がここまで進歩した社会(都市部)で生きていると、なかなか難しい。

もちろん今も東京でのお仕事にも携わっているけれど、こっちに移り住んで、わかったことがあるんです。それは、生きるものたちそれぞれが生を続けていくためには何かしらを食べないといけないし、必ず何かの命をいただかなくてはならない、ということ。

僕はもともと狩猟に興味があって、その免許も取ったけれど、住み始めてからわかったんです。農作物を食べてしまう “害獣” と呼ばれているようなシカやイノシシだって、生きるためには、食べていかなきゃならない。でも、農家さんだって、農作物を育てて、売って、生きていかなくてはならない。だからこそ、シカやイノシシを撃ち、命をいただかなくてはならないんですよ。

僕が今住んでいる小屋だって、そうです。小屋を建てるのに、木を切り倒す。その木に巣を作っていた虫たちは、その時、死んでしまいます。命をいただくんです。娯楽としての山登りだって、週末登山なんかだって、歩いていれば虫を踏みますし、たくさんの草木を踏んでしまいますよね。それを、割り切るようになったんですよ。それもひとつの愛情なのかもしれないな、って。そこに向き合いたいんですよね、僕は。この生活で。

 

僕が師と仰いでいる服部文祥さんは、こう言いました。「ビーガン(菜食主義者)の人々は、同志だ」って。「ひとつの食べ物に対して、考えに考え抜いた末にそういう選択をしている。僕らは食べるという選択を、自ら決めて選択しているけれど、“人任せにしない” ということで言うと、また、突き詰めて考えた、という点で言うと、同志なんだ」と。

あらゆる方向に、複合的な問題があり、問いがある。その中に、ちょっとずつ答えを見出して、ひとつの選択をする。その楽しみが味わえるからこそ、僕はこの生活を選んだのだと思います。考え抜いて行動すること、その “考え抜く” という行為は、他ならぬ “愛” ですからね。

 

 

Text by Nozomu Miura

Photo by Kyohei Yamamoto