たまたま受かった地元の短大の漆工芸コースで漆を学び、そのままの流れで漆職人に。その後、漫画家になる夢を追いかけて上京し、念願の漆をテーマにしたギャグ漫画の連載がスタート。一時期は漆職人と漫画家という二足のわらじで活動していた堀道広。この連載では自由で奥深い金継ぎの世界を紐解きつつ、超私的な見解をもって金継ぎの魅力を深掘りしていく。第3回のテーマは「人と人をつなぐ、金継ぎ」。

 

やむを得ず始めた「金継ぎ部」

関係ないかもしれないが、金継ぎ偏愛に至るまでの自分自身のことを書いておこうと思う。

18年くらい前、1冊目の単行本「青春うるはし!うるし部」が出たのを口実として(漫画家として)「独立」と称し、勤めていた漆の会社を辞めたものの、当然ながら漫画の仕事はなかった。その後、知り合いのマンションの集会場で漆塗り教室「うるし部」をしていたが、知り合いが出産のために集会所が使えなくなった。そしたら、そこに来ていた阿佐ヶ谷の喫茶店のマスターの誘いで、喫茶店では教室をやらせていただくことになったが、喫茶店では「漆塗り」に適していなくて、せめて場所を取らない「金継ぎ」なら、というやむを得ない理由で金継ぎを教える教室を始めた。「うるし部」から「金継ぎ部」になった。とにかく、仕事がなかったから。

始めてから数年は、「金継ぎ部」は2,3人しかいなかった。
しかし東日本大震災をきっかけに、割れた器を直して使いたい人が増え、部員は10倍ほどになり、教室も5,6箇所と増えた。とはいえ自分は髹漆(きゅうしつ)科出身(髹は、漆を塗る、の意味。木地に漆を塗って装飾のないシンプルなぬりものを仕上げる。もしくは蒔絵などの装飾をする前段階まで塗ることを教わる学科)だったため、金継ぎの知識はあっても経験が足りず、正直な話、人に教えるほどの技術というものはなかった。精一杯教えながら、自分も練習を重ねる日々だった。そうこうしているうちに、自分もイラスト、漫画、金継ぎの3本柱で食べられるようになったのだ。

当初、教室へはモペット(原動機付き自転車)で通っていたが、とある事件に巻き込まれ被害者(銀座眼科レーシック集団感染事件 で検索してみてください)となり、いただいた慰謝料でスクーターを買った。スクーターで各教室を飛び回り、「金継ぎ」を教えることになった。かつてなかった「金継ぎ」の移動教室である。おおよそ10年、そんなこんなしていると世間でも金継ぎ教室が爆増した。そして従来の金継ぎよりも今の時代に合う、線が細く、繊細な「金継ぎ」をやるようになった。「金継ぎ」も時代ごとに流行があるし、やればやるほど難しいと思う。でも、ずっと難しいから逆に面白いと思っている。

長くなったが何がいいたいかって、全てはたまたま人と人との縁でつながり「金継ぎ部」ができて、世間の需要があって、偶然今まで続けられた、という話でした。
喫茶店のマスターに誘わなければ、金継ぎ教室をやることはなかったし、事件の被害者になっていなければ、バイクを買う金もなかったので、移動教室も成り立たなかった。

 

金継ぎ部がもたらした、思いがけぬつながり

(以下、ちょっとした金継ぎ部つながりの話)

・とあるイベントの行列に並んでいたら前に並んでいる人から「堀先生、西麻布の金継ぎ部の元・生徒です」という方から話しかけられたことがあった。

・国立の教室に池袋から通われていた生徒さんで、金継ぎ部がきっかけとなって、立川(国立の隣の駅)に転居された方がいた。

・以前自分が住んでいた団地に、偶然、今住んでいるという生徒さんがいて、その方がお店を開きたいというので、その団地に住んでいる建築事務所をしている人を紹介し、関係をつなげた。

・国立の教室に来ている生徒(Aさん)と、以前葉山の教室に来ていた生徒(Bさん)は友人で、Bさんの息子さんが自分も仕事先の編集者さんだったことを数年後にAさんから聞いて、世間は狭いと思った。

・以前、声をかけてくれた漫画編集者の方がいたのだが、自分が不器用なせいで仕事として昇華(連載などの形に)することができなかった。音信不通だったが、数年後その編集者の方が別会社に転職したのをきっかけにまたオファーをくれたので、今度こそ不義理するわけにはいかない、と思い漫画を連載させてもらうことになった。題材は「金継ぎ」がテーマであった。

・知り合いが金継ぎ修理を頼んでくれた。それを見た人がまた頼んでくれた。

・私の「金継ぎ」関連の書籍を見た人や取材された媒体を見てくれたという人が、金継ぎを始めてくれたり、金継ぎ部に入部したりしてくれた。

 

のびしろがあることも、魅力の一つ

金継ぎ教室「金継ぎ部」を運営していて思うことは、器が好きな人、器を愛(いとお)しみ、愛(いつく)しむ人がいかに多いかということ。「割れてしまって悲しいので直したい」と思うことは、優しさのある行動である。金継ぎ教室に来るような人は、皆さん心根の優しい、良い方が多いように思う。そして皆さん同じような意思のもとに集まってきた方々は長い付き合いになる方が多い。器を直す「金継ぎ」も大切だが、これが縁で人と人とが繋がることも「人間関係の金継ぎ」であるような気がする。

金継ぎは自分もいまだにやればやるほど難しいと感じるし、自分のやったものでも百点満点というものはないように思える。逆に、修理の品で自分で自分に百点を与えてしまうような人がいたら、技術をこっそり教えてもらいたい。

これまで不向きとされていた「ガラスの金継ぎ」も、近年のガラス用漆の開発によって接着ができるようになり、まだまだ金継ぎに可能性を感じる。取っ手が取れてしまったものも、道具の発達によって、針金のダボを骨にして埋め込むことで強度が増したり、昔できなかったことができるようになった。

 

ガラスの金継ぎ

欠損した部分に違う陶器の欠片を探してきて繕う「呼び継ぎ」も、タイル用のグラインダーを使えば、無限に切断が可能になり、容易すぎるくらいになった。金継ぎから派生した「かすがい継ぎ」(割れ目に沿って左右に小孔を開け、金や銀などでとめる手法)も、数年前より技術が進歩した。使われていないスプーンの柄なども、加工してかすがいにして埋め込んだりしてみたい。「かすがい」の金属をたくさん打ちすぎることで、「メタル感」の強い仕上がりにすることも可能だ。

 

かすがい継ぎ

やってないこと、できることの可能性が増え、「のびしろ」がまだまだある。

TikTokのリールに上がってくる、かすがいや陶器に金属の板金を象嵌する中国系の動画などは、編集でとても簡単そうにやっていて、とても軽やかで楽しく見え、まだまだ奥が深いと思わされる。技法的にも、漆芸の要素を加え貝を貼ったり(螺鈿)、金継ぎした上から蒔絵を施したり、加飾的なことをする人もいる。いち修理の技法でしかなかったことが、やろうと思えば自分なりの表現もできるし、作品のような自己表現にまで高める人もいる。まだまだ「のびしろ」がある、というのも金継ぎの魅力の一つだ。

金粉材料の値段が非常に高い(30年前の約6倍)ので、よほどのものでないと金粉を使えない状況だが、銀や錫、真鍮や色漆で代用したり、いくらでも仕上げ方がある。漆仕上げも、丈夫だし、生徒さんにお勧めしている。それも魅力。時間と手間をかければかけるほど美しい金継ぎができるし、器に対する思い入れも深くなる。それも魅力の一つである。

書いているうちに支離滅裂になってしまい、文章は不得手なので未来永劫断ろうと思ったのですが、依頼主が知り合いだったこともあり結局引き受け、全3回書いたうちの、これが3回目でした。

最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。

関係ないですが、漫画家としての最近の作品。「漆絵皿」に描いた作品をおわりに添えて。