いまだ多くの人の業を背負い続けている作家、太宰治。「恥の多い人生を送って来ました」の書き出しで知られる『人間失格』をはじめ、2024年に生誕115年を迎えてもなおその作品は読み続けられており、全く色褪せることなく読者の心をわし掴みにしている。

三鷹の古本カフェ「フォスフォレッセンス」の店主・駄場みゆきは、そのルックスに魅了されて以来の太宰の追っかけだ。そんな駄場が語る、太宰と友情を育んだ女性たちについて。

 

一作品のモデルになりたい

太宰治が生きた時代にタイムスリップ出来たら、どの立場になりたいか。 
そんな話をすることがある。「一作品のモデルになりたい」いつもそう答える。 
「恋人になりたいのかと思ってた」毎度そういう反応を受ける。 
「いやー、身が持たないです。そりゃあ、死ぬ気で恋愛してみないか?と言われたらわかりませんけども(笑)」なんて答えながら、我ながら逃げてるな、と思う。 

実生活で天才作家を支え切る自信はないし、現在太宰文学を受け取れるのは, 
妻である美知子夫人のおかげ。原稿や資料を整備された功績への感謝の気持ちは、タイムスリップ出来たとしても忘れたくない。 
でも、ほんの一瞬でも、創作に霊感を与えることに自分が関われたら... 
作品の中で永遠に生き続けることが出来たら...そんな夢を見てしまう。

同じように、もし太宰と同時代に生きていたら、友人になりたかった、関りを持ちたかった、そう思う方は少なくないでしょう。 

そこで、太宰と恋仲にはならなかったが、もしかしたら作品に影響を与えたかもしれない、そんな女性たちを紹介してみようと思う。 

 

太宰に影響を与えた女性たち

尾沢多江 
太宰が通った吉祥寺のバー「コスモス」のマダム。著書『太宰治とコスモス』(近代文藝社)は、来店時の様子も克明に記され、マダムと自分を重ねて読んでしまう。 
(昭和十六年の秋の終り頃、酒を飲んでいた学生たちが「あ、太宰治だ」とささやき始める。黒い二重廻しで悠然と現れる姿を認め、顔に血がのぼるのを覚えたという。太宰はその夜から毎日来店する。 

文学に憧れ投稿もしていたマダムは、その情熱を太宰の役に立つことに向けた。 
「神聖な芸術家のために、血となり肉となる物をささげるためにこそ、 
それがわたしの使命であり、またこの世に生を受けたという、しるしなんだもの」と、先生のためにお酒を切らさぬように、と献身を尽くす。) 

女店主目線からの太宰先生という構図が個人的にもたまらない。 
絶版書で入手困難なのがもったいない。太宰治を知る上で貴重な資料だと思う。 

 

 

時は戦時中。太宰は軍政府への不満を口にし、「まだ死にたくない。まだ、書きたいことが、山ほど残っているんだもの。」と吐露する。 

特高刑事に聞かれたらまずいので、マダムが「先生、そのお話おやめになって」と促しても「太宰はどこへ行っても堂々と意見をのべるから、心配するにおよばないよ」と答える。 

良い話ばかりではない。 
なれなれしく話しかけた学生への厳しい言葉、井伏さんへの愚痴、或る作家の悪口、自著の感想を言わないマダムへ、古歌を交えながらちくりと放つ言葉の矢。 
そして文学と心中する覚悟。 

思い描いている太宰像と本の中の太宰がほぼ一致していて、読後、益々太宰愛が増していった。 
もし私がマダムの立場にいたら、この言葉を遺さねばという使命に駆られただろう。 

高峰秀子 
著書『わたしの渡世日記』(朝日文庫)で太宰に会った時の印象について読めるが、「当代随一の人気作家太宰治先生は、ドブから這い上がった野良犬のごとく貧弱だった。」とけちょんけちょんだ。 

昭和22年の夏、映画の打ち合わせの会食が目的で、その頃の太宰は調子悪い日が多かったかもしれない。いつもいけてる状態でいるなんて、難しい。 

秀子は「走れメロス」などの人気作品を、ほとんど暗記するほど熟読していたという。だからこそ残念に思ったのかもしれない。 
これまた生き生きとした筆致で野良犬太宰が描かれるが、いやな感じは全くしない。酔っぱらいの振る舞いをしながらも、鋭い観察眼を持っていたことを最後にさらっと書き加え、実に読ませる。 

こう考えてみよう。逆に時を未来に向ける。 
将来、生前の太宰の映像が発見され、公開される日が来る。待ちに待った瞬間だ。 
Youtubeでプレミア公開されるとしたら、カウントダウンはもう息が出来る気がしない。もし、いけてないver.の太宰が画面に映し出されたとしても大丈夫。 
私たちには『わたしの渡世日記』がある。 

自分の容姿などかまっていられない日もあったのだ。 
高峰秀子様が先に書いて下さっているではありませんか。 
身嗜みに構わず酔った日も、作家の眼光はぴっかぴかに光っていた。 
この事実があれば、どんなお姿でも受け止める覚悟は出来ている! 

 

石井桃子 
「ちょっとつかみどころもないほどやわらかい感じの、私には少年のように若々しく思えた人」(「太宰さん」より『みがけば光る』河出文庫) 
この行を読んだ時、太宰像が少し掴めた気がした。 

(井伏鱒二から「太宰君、あなたがすきでしたね。」と言われた時に、 
「それを言ってくださればよかったのに。私なら、太宰さん殺しませんよ」と答え、「だから、住所知らしたじゃありませんか。」と井伏さんから返されたことで結んでいる。) 

もっと近付く可能性もあったかもしれない。けれど、手紙を出さなかったのだから、変わりようがない。考えさせられる。 
短いエッセイのなかに大切なことがギュッと詰まっている。 

石井桃子さんが荻窪の自宅を子どもたちに開放した「かつら文庫」に入館した日は感動した。井伏さんと太宰がベルモットを飲んでいた在りし日の光景が浮かんで、その場を離れがたかった。 

秋田富子 
『水仙』や『グッド・バイ』などの太宰作品のモデルとなった女性。 
娘である林聖子さんは『メリイクリスマス』のシズエ子ちゃんのモデル。「母」として富子さんも登場するが、その文章を読むと、いかに魅力的な女性かが分かる。 

昨年の桜桃忌企画で「太宰治と秋田富子と林聖子」展を開催した事もあり、個人的に研究していきたい母娘である。戦後の三鷹に生きた女性史の一面としても興味がある。   

『メリイクリスマス』作中の言葉を借りると「唯一のひと」ということか。 
なんてお洒落で至高な言葉。お互いに少しも惚れていないと書きつつ、二人の恋愛の形式というものを完全には否定していない。 
読者は術中にはまり、現実と混同してしまう。 

気になる方は、南田偵一著『文壇バー風紋青春記』(未知谷)をお勧めしたい。林聖子さんが営んだ文壇バーについては『風紋五十年』(パブリック・ブレイン)併読推奨。尊敬するお二人について、多くの方に届いてほしい。

 

 

林芙美子 
『ヴィヨンの妻』初版の装幀・扉絵を手掛けた。 
「あの位淋しい淋しいの言葉を吐気出すように云いつづける人は珍しい。仲々の毒舌家ではあったが、根の心をなすものはまことに気弱なガラスのようにもろい感じの人であった。」(『友人相和す思い』より)  

 

 

本質を突いていて泣けてくる。 
これは太宰への追悼文で、家族もファンになるくらいの太宰の人たらしぶりが、芙美子の名文で読める。

「太宰君の甘ったれや」とずけずけ言い、その甘ったれぶりを許していた芙美子。羨ましい友情関係だ。 

太宰は妻の前でもよく泣いたが、気を許した相手の前では、弱い所も晒す。 
もし目の前で淋しさを吐き出されたら、母性本能が爆発してしまうだろう。

「さかんに、昭子さんに心中しましょうかと云う話をしていて」とも書かれているが、太宰と芙美子が親しくなったきっかけは、織田作之助の未亡人、昭子さんの存在である。 

織田昭子 
当の昭子さんは「作やん」以外に気が向かないご様子(林芙美子『椰子の実』参照) 

渡辺淳一との対談で「太宰さんもあなたを好きだったでしょう。」と聞かれ「さあ......。」と答えている。(知り過ぎた毒薬の味『華麗なる年輪 渡辺純一対談』角川文庫) 

 


 

太宰の優しさ、指の長さ、斜に構えるポーズは左横顔四十五度に自信あるから説など、面白く語る。 

「このひとときは生涯忘れないだろう、と思いながらなるべくゆっくり歩いて駅に早く着かないように」と、一緒に歩いた思い出を語る行はうっとりした。 
心は作やんを忘れず、けど太宰の隣にいて幸福を感じる。 
そんな瞬間があっても良いと思う。 

著書『わたしの織田作之助』(サンケイ新聞社)にも太宰が登場する。 
林芙美子宅に居候が長引き働かずにいると、三鷹の女流画家のアトリエの一角を借り、小さな本屋を営むのはどうかと太宰から助言を受けたという。 

この件は流れたようだが、実現していたら、自分が助言したのだから太宰は協力したと思う。三鷹で小さな本屋を営むというその提案、 
場所も時代も違うけれど、私が引き受けた!と勝手に震えていた。 
太宰発案の、この友情のバトンを受け継ぎたい。これ、私がやる。 
そう思った。 

紹介しきれなかったが、他にも親交があった女性はいる。青森出身の阿部なを、北畠八穂など、心許せる同郷の女性たちによる太宰に纏わる文章も素晴らしい。 

 

 

森鴎外の娘・小堀杏奴は『太宰治の女性観』で 
「生前、一度として顔を見た事も無い、太宰治と言う一人の作家を、私は深く愛している。」と記した。 
読み進めると、本人に会わずとも、情熱的にその魅力を後世に伝えられるのかと勇気をもらえる。ファンを公言し、桜桃忌にも現れた。 
尊敬する鴎外の娘に慕われ、太宰が泉下で含羞んでいそうだ。

優しさ、淋しさ、柔らかさ、真直ぐさ、鋭い眼光、太宰の肉声が聞こえてきそうな 
会話文、女性たちの手記から見えてきた多面体の太宰像から立ち上がってくるのは、文学に身を捧ぐ愛すべき一人の生身の作家の佇まい。 
タイムスリップせずとも、本を紐解けば、いつでも会える。 

 

情熱を注いだ幸福をシェアする

紹介した女性たちのプロフはほぼ書かず、太宰とのエピソードに絞ったが、 
気になる人がいたらぜひ深堀りしてみてほしい。 

太宰と恋愛関係になった女性、友情を育んだ女性、 
天才作家と関われて、リスペクトと羨ましさしかない。 

太宰とのことを書き留めておきたかったのに悔いを残したまま、 
あの世に行ってしまった人もいるかもしれない。 

夢枕にでも出てきてもらって、シャーマンとしてでも 
その魅力を伝え聞いていきたい。 
私は生きていて、それが出来るのだから。 

同担歓迎派だし。恋愛じゃなくて友情なら、手を取り合える。 
あの世この世全員まとめて、太宰について語り合える場を開いておきたい。 

正気じゃない?結構。偏愛って正気じゃできない。 
それほど情熱を燃やせるものに出会えた幸福はシェアし、使い果たさねば。

オンオフなく人生丸ごと創作に魂を焦がした作家に惚れると、その物言い、行動、全てを知りたくなる。作家の周辺情報を探るのは宝探しのようで、まさに偏愛の醍醐味だ。

偏愛、万歳! 

連載は今回で最終回。ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました! 
またどこかでお会いしましょう。