会社員の傍ら、週末になると秘湯どころじゃない「未発見の温泉」を求めて道なき山々を探索。なぜそんな活動を続けるのか。快適な旅館の湯船とは180°違う温泉体験を求める”偏愛”趣味の魅力を紹介する。

 

「野湯」は愛好家人口が少ないゆえに成り立つ

未知の温泉を探す活動は言うまでもなく、野生の温泉「野湯」を趣味として楽しむことさえその人口は非常に少ない。野湯の愛好家は各地にいてコミュニティも細々とあるが、アクティビティとしてはマイナー極まりない。そもそもこの「野湯」 、僕は「の」にアクセントを置いて「のゆ」と読んでいるが、「ゆ」にアクセントを置く人もいれば、そもそも「やとう」と読む人もいる。人口が少ないので読み方さえ人ぞれぞれだ。ないとは思うが、万が一野湯ブームが起こり大勢の人が野湯を求めて山に入るようになると、事故もたくさん起こるし、山や野湯も荒れてしまう。ネットであっという間に情報の広がる現代。実際、界隈でちょっと有名になりすぎて立ち入りが禁止されてしまった野湯も存在する。なので野湯愛好家たちは「野湯って最高!素晴らしさをもっと知ってほしい!」という気持ちもありつつ、「有名になって荒れないようにしないと」という相反する気持ちの狭間で葛藤しているのだ。

 

「知ってほしい」と「広めたくない」の狭間

ここまでこの記事を読んでくれた人の多くは「心配しなくても、こんな活動しないから」と思っているかもしれない。そう思わせてしまっているとしたら、まだ僕が野湯・未到温泉の魅力を伝えきれていないのだと思う。確かに硫化水素が危ないのでガスマスクを持っていくやら、熊に襲われたやら、泥だらけになって山奥でヌルい湯に横たわっている写真を見せてしまうとハードルを上げてしまっているかも知れないが、前述の通り、一定のハードルはこの活動には必要なのでしょうがない。その代わり、もう少しこの活動の魅力について語らせて欲しい。

 

野湯が究極の温泉体験だと言える理由

皆さんは温泉に入る時、内湯と露天風呂はどちらが好きだろうか。僕は断然、露天風呂が好きだ。同じ趣向を持つ人は野湯に向いている。露天風呂というのは内湯の快適さを保ったまま、できる限り自然に近づけようとしているものだと考えている。半屋外に湯船を作り開放感を演出し、周囲に木を植えたり海や山を展望できるようにしたり。つまり、露天風呂が目指しているのは自然と一体となった温泉体験。そう考えると、その究極系が野湯だとは言えないだろうか。「木が生えている」、「山が見える」というレベルではない、山深い森の中での入浴、「海が見える」というレベルではない、海や川そのものへの入浴。やはり野湯は「究極の露天風呂」なのだ。

 

露天風呂の究極系!?

前回、「温泉旅館の湯船が動物園だとしたら、野湯はサバンナ、つまり温泉の野生の姿」だと述べた。しかし、ほとんどの人がサバンナには行ったことはないと思うので、身近には感じられなかったかもしれない。動物園で十分だ、と。しかし、動物ではなく魚で考えるとこうは言えないだろうか。温泉旅館の湯船は「スーパーに並んでいる魚の切り身」で野湯は「大海原を自由に泳ぐ魚たちの姿」だと。スーパーの鮮魚売り場は便利だし快適だが、魚を知るのにその姿を見るだけで十分と言えるだろうか。いや、魚が好きなら魚が切り身になる前に元々どんな形をしていて、どんなふうに海を泳いでいるか知ることこそ重要ではないだろうか。今、僕は温泉が好きなあなたに語りかけています。どうやって温泉が湧き出ているか直に見て体験して初めて温泉が好きと言えるのではないだろうか。野湯に入浴することは温泉本来の姿を全身で感じることなのである。

 

すべての温泉はもともとこういう姿だった事を忘れてはいけない

 

「前人未到温泉」を探す旅は続く

…野湯の魅力が伝わったかどうかは別として、僕はこれからも未知の温泉を探し続けるだろう。人に見つかることのないまま湧き出ている温泉は日本のどこかに存在している。これまで活動を続けてきて、この思いは確信となった。これだけ山中に数えきれないほどある野湯が全て発見され尽くしているはずはないと思えるし、世の中には「○○新湯」と呼ばれる温泉もある。それまでなかった場所に突然湧き始めた「新しく湧いた温泉」のことだ。温泉というのは突然湧き始めたり、逆に枯れたり、場所が変わったり気まぐれだ。そういったことを考えると、人知れず湧き出ている温泉はきっとあるのだ。

 

「甘湯新湯」と呼ばれる野湯。最近になって見つかる温泉というものもある。

これまで5年間の活動で未到温泉と断言できるものはまだ見つかっていない。野湯を巡っていなければ「未到温泉なんてないのかも…」と落胆していたかも知れない。しかし、未到の温泉が「ある」のは確実でまだ見つかっていないだけなのであれば、楽しみは増えるばかりだ。目的に辿り着くまで苦労すればするほど、達成時の感動は高まるもの。今はメインディッシュのために汗を流して腹を空かせている状態と言える。

それではどうすれば目標達成=「前人未到温泉の発見」となるのだろうか。これは難しい問題だ。どの野湯が発見されていて、発見されていないのかデータベースは存在しない。それならば条件はネットにも書籍にも情報がなく、人里からも十分に離れていることだろうか。そしてSNSでも野湯界隈の方々にお聞きしてみて、その上で誰も知らなければ「前人未到温泉」であると断定したい。あと何年かかるかはわからないが、いつかは辿り着けるだろうか。データを集めるために行きたい野湯もまだまだある。国内はもちろん台湾、タイ、アメリカ、ペルー、アイスランド…地球に火山活動がある限り野湯も世界中にあるのだ。僕の「前人未到温泉」はもしかしたら海外にあるのかもしれない。自分だけの温泉を求める”偏愛”の旅はこれからも続く。