街に溶け込んで注目することなく通り過ぎてしまう風景。あるきっかけから、そんな見過ごしがちな景色に注目し探し続けるようになった。犬のフンの片付けを啓発する看板『いぬくそ看板』は、人と人の嫌悪と対立、そして和解の様子までを語る壮大なドラマなのである。

 

1.いぬくそ看板とは何か

住宅街や公園などを歩いていて、かわいいイラストで「ペットのフンは持ち帰ろう」のようなメッセージが書かれた看板をよく目にする。私はこういった犬のフンの片付けを啓発する看板を『いぬくそ看板』と呼び、その看板が設置してある場所の風景や看板自体について考察を巡らせることをここ十数年続けている。

ホンダ狭山工場付近にあるいぬくそ看板

私はいぬくそ看板をSNSで紹介していて、多くの人にこの観察趣味を広めようと活動している。私なりの分析と考察で、この趣味が広まることを願っている。

 

2.いぬくそ看板はドラマ

いぬくそ看板の魅力は、その風景が持つドラマ性である。
いぬくそ看板が設置される背景に想いを巡らせると、まず犬のフンが放置されている問題が発生したに違いないことが想像できる。フン放置の再発を防ぐためには住人が飼い主にフンの片付けを促すメッセージを送らなければならない。しかし、感情に任せて苦情を伝えられない。飼い主との衝突は地域の人間関係にハレーションを起こす心配があるからだ。また、飼い主が家の前に来るまで待つのもしんどい。だから看板を設置するのである。

一方で、飼い主にしてみれば大切な家族の体調に関わる。散歩中にしか催さないワンちゃんだったら外で用を足すしかないので、「犬のトイレは自宅で済ませてください」と看板に書かれたら反感が湧くだろう。飼い主も受け入れられるようなソフトでわかりやすい内容の看板でなければいけない。結果的に設置される看板はかわいいイラストとともに当たり障りないメッセージが添えられたものとなる。顔を合わせることのない人と人の静かな心理戦の結果が看板設置なのだ。

連凧型のいぬくそ看板

ただ、この写真を見ると住人と飼い主の心のぶつかり合いがよくわかる。柔和な表情をした看板が複数枚、無秩序に設置されている。当初1枚だけ設置されていたのだろうが、フン放置の被害が収まらなかったのだろう。メッセージをより的確に伝えるべく、2枚め、3枚めと数を増やしていったに違いない。そこに強烈な人間ドラマを感じてしまう。
冴えない風景写真でここまでドラマを語れることが他にあるだろうか。街中のありふれた風景の中で、いぬくそ看板は雄弁な語り部なのである。

 

3.いぬくそ看板との出会い

いぬくそ看板を初めて意識するようになったのは小学2年生の頃だ。

1988年当時、私の家には『現代下世話大全まちのヘンなもの大カタログ バウッ!』(通称VOW)という本があった。年の離れた兄が誰かから借りてきたものだったのだろう。VOWは宝島社発行の雑誌『宝島』に連載されていた読者投稿コーナーをまとめた書籍で、新聞や雑誌の誤植や変わった記事、今で言う路上観察などを紹介していた。その中に掲載されていた物件にいぬくそ看板があったのだ。
好事家の間で語り草になっている「Don't UNKO」の看板が掲載されていたのもこの本だ。兄は当時中学2年生。年上の文化であるVOWネタの洗礼を小2で受けたことが将来に繋がる。
VOWとの出会いから20年後、クルマに乗るようになって自宅の駐車場でやたらと犬のフンを踏むようになった。不潔で最悪の気分になるのだが、フンを踏まずに済む方法を考えるうちに、昔読んだVOWネタが頭をよぎった。いぬくそ看板である。月極駐車場だったから自ら看板設置はできないが、いぬくそ看板に対策を学べるのではないか。そんな考えもあり、街中の看板を眺めたり撮影したりするようになり今に至る。

 

4.いぬくそ看板の場所

いぬくそ看板を知ってもらうには街に出るのが手っ取り早い。それらが設置されている風景を眺めれば説明なんかいらない。
まずは住宅街。犬を飼う世帯が多ければお散歩する犬も多いから想像に易い。大通りから一本入った道沿いにある住宅の入口付近や月極駐車場のフェンスに看板が設置されているケースが多い。閑静な場所はワンちゃんが催しがちなのだろう。また、放置の現場を押さえにくい状況も飼い主に片付けない隙を与えてしまうのかもしれない。
公園のような開けた場所も多い。こちらもお散歩に適しているからだろう。風景が開けた線路沿いや高架道路脇の公園は、フェンスや柵、植わっている樹木に看板が高密度で設置されている。昼は人が集まるからフンを放置できないだろうが、深夜に犬の散歩をする場合は放置率が一気に上がりそうだ。

まとめると、①大通りから一本入った住宅街、②線路沿いか高架道路付近にある、③公園周辺。
この条件に合致していても、人通りがより多い駅前や大型商業施設の近くだとゴミの放置にフォーカスされるようでポイ捨て禁止の看板をよく見かける。人通りが少ない郊外は不法投棄の看板ばかりだ。

 

5.いぬくそ看板の分類

いぬくそ看板を数多く眺めていると、設置地域や設置位置、看板の内容などから分類できることに気づく。 

 

いぬくそ看板四大分類マトリクス

 

設置する人の感情が昂ぶっているか落ち着いているか、設置場所が私的な場所か公共な場所かで縦横に軸を取り、マトリクスにした。最も頻繁に見られるものは軒先のようなプライベートな場所に冷静な状態で設置する『説得グループ』。公園や公共の場所でよく見る冷静タイプは『規制グループ』。公共の場所で相当迷惑がっている人がヒートアップしていると『義憤グループ』。私的な場所で怒りが爆発している『怨念グループ』。

街で見かけた看板を分類する時のヒントにしていただければ幸いだ。この分類は設置者と犬のフンを放置した飼い主との関係性を知る上での補助線になるだろう。また、この分類を応用して時系列を追うこともできる。

 

いぬくそ時系列図

同じ看板を、時間を置いて観察すると、犬糞放置の被害が終息するのがわかるはずだ。終息すると看板は撤去されるべきだが、プライベートな場所に引っ込めたり看板を放置したり、その結末は様々だ。
一方で飼い主側が看板に反感を持ってしまうと被害は悪化する。設置者はヒートアップする傾向にあり、行き着く先は進化しすぎた掲示となる。怨念に満ちた迷惑物件と化してしまう。

 

義憤グループから怨念グループ化


地域の迷惑事象である犬糞放置を防ごうとするあまり、公共物の落書きになって地域環境を悪化させてしまった例だ。犬糞問題は人と人との問題。こじらせると問題が拡大してしまうのだ。

 

6.街から学ぼう!

いぬくそ看板観察で得られた最も大きいものは、出来事の向こう側を見ようと努力する気持ちだと思う。かわいらしい看板のデザインの奥には、必ず人間ドラマがあり、大きな学びを得られる。通勤通学や散歩ジョギングの折、少しだけ街に目を向けると、意外な学びがあるかもしれない。
 

さて、あなたが犬のフンを放置されたらどんな看板を出しますか?
あなたが犬の飼い主なら看板出されてどんな気持ちになりますか?