あんきょ【暗渠】道路などの地下に埋設した水路を指す。

暗渠に関するさまざまな情報を発信し続ける、髙山英男・吉村生によるユニット「暗渠マニアックス」による連載企画。第二回は吉村生が語る「歴史を深掘ると見えてくるもの」。

私が惹かれたあの川

暗渠の魅力を伝えるこの連載。2回目は、深掘型暗渠研究家の吉村に書き手を交代してお届けします。今回は、吉村が考える暗渠の良さについて、書いていきます。

私が暗渠と出逢ったのは、2009年春のこと。暗渠は大概のまちにあるものなので、もちろんその前から暗渠上を歩いてはいたし、なんなら子ども時代の通学路はコンクリートの蓋暗渠だった。けれど、「暗渠」がなにものなのかを、まだ私は知らなかった。
「出逢い」はこんな感じだった。高円寺の商店街が好きで、よく買い物に行っていた。そこである日唐突に、足元にかつて「桃園川」という川が流れていた、と知った。暇だったのかもしれない。なぜだかたまたま、説明の文章を読んだのだ。たしかに、そこにだけ店が建っていないこと、連なる隙間があることは、うっすらと認識はしていた。

 

桃園川、宝橋跡。ルック商店街とパル商店街のちょうど切れ目にある


そして言われてみれば緩やかなV字谷の底だった。そういった、「言われてみれば」の連続で、大好きな街の、なんともなさそうな街角に降り積もっていた違和感が「暗渠」で一気に解消した。それはこの上なく、爽快な体験だった。

もともと、私は「地下にある構造物」が大好きだった。それはもう子どもの頃から、かこさとし作の絵本『地球』の影響で。『地球』では、地面の下や建物の向こう側を、野山から宇宙まで、断面図にして見せてくれる。私は宇宙よりも、「家の前」や「まち」にある地下の描写が大好きで、食い入るように眺めていたものだ。


この絵本の、家屋の断面と地下構造物を描いたページを、穴が開くほどながめた


地下の、見えないところに何かがある。それを想像するだけで私は楽しい。さらに、その何かの片鱗が地上に現れてきていたら、どんなに小さくても、尊いものだと思う。暗渠に関する色々な行為を試してみて後から分かったことだが、私はどうやら暗渠の中に入りたいわけではないらしい(暗くて怖いから)。暗渠サインを手がかりに、流れていた頃のすがたを、そこにいた生物や人々の営為を、あれやこれやと想像しながら、かつて川だった地面を愛でる。
その行為の面白さをなんと言ったらいいのか…、まちを歩いているわけだが、カヌーに乗っているようでもある。令和の路上にいるはずだが、昭和の子どもが泳いでいるような気がする。自らの身体感覚も、見える景色も変化する。テーマパークの乗り物といえばよいのか、タイムマシンといえばよいのか。そんな、独特でエキサイティングな体験だった。

そんなわけで、私は高円寺にて人生の最愛とめぐり逢い、とにかくこの桃園川という暗渠の全てを見たい、知りたいと思いながら、水源や支流を辿りまくった。
それまでは、疲れることが嫌いで殆ど歩こうとせず、見た目重視の歩きにくい靴しか持っていなかった自分である。靴や鞄を買い替え、(平地なら)三万歩歩いても平気になった。知人と約束事があっても、帰りには「ちょっと行きたい暗渠があるんで」と別行動を取るようになった。仕事でどこかへ行く時も、必ずその前後で暗渠を探す。2009年のあのとき一体何が起きたのか、いまだによくわからないのだが、2024年の今でも当時の想いはまだ継続している。少なくとも健康面から見れば、素晴らしいことである。

 

歴史を深掘りする

暗渠との出逢いのおかげで、暇さえあれば暗渠探索に没入するようになった。他の暗渠も含めて探索を繰り返し、分かってきたことは、私は歴史を掘ることが特に好きで、中でも特に、暗渠と「人との関わり」を見ようとしている、ということだ。第一回の高山の文章でいえば、「経過の楽しみ」が該当する。このことについて、具体例を用いて説明しよう。
歴史深掘りの手段は、何種類かある。
ひとつは、周辺に住む人へのインタビューだ。近隣に古いお店があれば入ってみる。地元の人がいたら、可能そうであればお話を聞こうと試みる。知人から紹介してもらうこともある。話が脱線することもあるが、川の話をするとき、人はイキイキと輝くことが多い。「大した話はできないけど」と謙遜されることもあるが、その人だけが持っている川の記憶は、宝物のようなものだ。実際、インタビューで得られた情報はたいがい、どんな文献にも載っていない。そして現代に暮らす我々の感覚からやや離れ、おおらかで、懐かしい話が多い。
たとえば、阿佐ヶ谷にかつてあったお店のご主人から、こんなお話を聞いた。そのお店の裏側には桃園川の支流が流れていた。


寿々木園という釣り堀が阿佐ヶ谷駅付近にある。大正創業、その脇を桃園川支流が流れていた

 

“水アカはあったが、綺麗な水だった。大雨になると上流の釣り堀(これは現在もある)から金魚が流れてきて、捕まえるのが楽しかった。
時々、おじさんが腰にヒモをつけ、ドブ(桃園川支流のこと)にたらして、磁石で鉄クズをとっていた。阿佐ヶ谷駅前には戦後、飲み屋のバラックがあったが、昭和30年以降はこの支流のほとりに移ってきて、ドブに板を敷き通路にして営業していた。線路の反対側に一番街があったから、こっちは通称二番街。よく繁盛していたが、中央線の複々線化でなくなった。”
…私の知らない阿佐ヶ谷が、暗渠を介して立ち現れる。中央線の複々線化は昭和30年代後半だから、二番街があった期間はおそらくかなり短い。幻のような出来事だ。


阿佐ヶ谷駅付近の桃園川マップ(国土地理院地形図を加工して作成)

 

このように暗渠インタビューは貴重だが、いつも誰かに聞けるわけでもない。記憶違いや伝達間違いもあるため、聞いたことが正確であるとも限らない(それもまた、人間味があって愛おしいのではあるが)。いささか地味かもしれないが、古い新聞や郷土資料を探すことも、私にとっては暗渠に赴くのと同じくらい、楽しい作業のひとつである。
たとえば、こんな新聞記事がある。杉並新聞というローカル新聞で、昭和33年、阿佐ヶ谷駅前のことが取り上げられていた。先ほどの二番街のやや下流で、暗渠化工事を進めたいのだが水上建築物がなかなか立ち退いてくれない。その建物は水洗便所として水路を使用している、という内容だ。
昭和26年、中杉通りを横切る桃園川本流では、ヤミ米を販売していた犯人が逃げようと川に飛び込み、巡査が追いかけ、川の中で揉み合いになった、という事件もあった。


おどろくべき水中大乱闘事件の現場。今はのどかな遊歩道の一部である

 

犯人は無事お縄になったのであるが、水中乱闘が起きていたのはなんと夜中、0時過ぎだった。

 

深堀りの効能

かつて川に流れていたものや、ちいさな事件の話は探せば少しずつ残っている。それらを投影することで、味気ないアスファルトの地面は、たちまち映画の舞台のように彩られてゆく。深掘りの情報が増えるということは、脳内CGに投影できるものが増える、ということだ。ブラタモリのように高いスキルを持つ人にCGを作ってもらわなくとも、自前でできるようになるのだ。それってすごくないですか?
たとえばさきほどの、阿佐ヶ谷駅前にある桃園川支流とは、実際にはここのことである。

 

相澤堀とも呼ばれる桃園川支流が流れていたところ。右手が中央線高架

 

それが、インタビューで得た情報を足すと、このように見えてくる。

 

先ほどの写真に手描きイラストを載せた

 

見えるだけでなく、においを想像したり(稀に、本当ににおってくる時もある)、頭の中で音を鳴らすこともある。
もちろん、あまり情報が入ってこない地域もある。それはそれで、水を描きながら、自由に勝手に妄想をすればいい。私はその妄想の材料にするために、湧水を見に行ったり、開渠を見に行ったりすることがある。

 

千葉県、鎌ヶ谷にあった湧水の素朴な水路。こういう風景を、イメージトレーニングに使う

 

暗渠の上を歩く。それはすなわち川の上を歩くということだ。あるいは魚になって泳いだり、小舟を漕ぐのでもいい。妄想の材料の多寡によらず、脳内CGのスイッチをオンにすれば、周囲には新しい風景が現れる。そうすると、その場所がさらに好きになる。
暗渠の多くはまちの裏側的な存在で、時々公園に化けていたりもするけれど、地味な場所であることが多い。地味だが、日本中どこにでもある。そのへんの道が、こんなに豊かな景色を持っているだなんて知ってしまったら、こんなにお得なことはない。
だから私はどこにいても、できるだけ暗渠を歩こうとする。暗渠じゃない道を歩いているときは眠くなってしまうのだけど、暗渠を歩くときは覚醒度が上がり、いくらでも歩けるようになるのだ。我ながら不思議な現象だ。やはり、暗渠は健康にいいのかもしれない。そんなわけで、暗渠探索はまだしばらく辞められそうにない。