全国各地の酒場を巡る酒場ライターのパリッコ。語り尽くせばキリのない酒場の魅力のなかでも、特に愛してやまないのが酒場で感じる「非日常感」や「旅情」。
そこでこの連載では、「酒場と出会う旅」をテーマに、予測不可能な旅の一部始終を追体験していく。第2回の舞台は「練馬・酉の市」。

 

年末の風物詩

僕の住む東京の都市部で雪が降ることは珍しく、年に一度か二度、まれに積雪があったりすると、見慣れた風景が一変する。そんな日、僕ら酒飲みは俄然そわそわしだす。いつもの街が雪化粧し、非日常と化した世界。その空気感を肴に、酒を飲まなければ気がすまないからだ。

そのように、ふだんとは違う表情を見せる街の空気感のなかに身を浸すこと。日常と隣接した非日常を積極的に味わうこと。それは、もっとも身近な「旅」と言ってもいいいのではないだろうか。

この原稿を書いている2023年11月。関東地方を中心に、全国各地で酉の市が行われていた。ささやかなものではあるけれど、地元石神井公園の神社で熊手を新調するのは、ここ数年の定番行事。今年も、サイズを大きくすることはできなかったけれど、現状維持の熊手を買うことは、無事できた。

その帰り道にふと思う。そういえば、友達と数年前に一度だけ行った、僕の住む練馬区界隈では最大規模の「練馬大鳥神社」の酉の市。無数に並ぶ屋台がキラキラとして、街全体がお祭りさわぎ状態。なんとも楽しかったよな。今年の酉の市は、一の酉11日、二の酉23日の2回。今日がちょうど二の酉の日だ。久しぶりに行ってみようかな。練馬の酉の市へ。

酉の市の空気を満喫

夕方、練馬駅南口へ降り立つと、街はすっかりよそゆきの顔を見せている。特に、大鳥神社のあるメイン通りはお参りの人々が長い行列を作り、まるで見知らぬ観光地のようだ。

駅周辺の繁華街には無数の屋台が立ち並び大にぎわい。そのなかの1軒で売られていた缶チューハイを片手に、ぶらぶらと気ままに歩き回ってみる。道ゆく人々は大人も子供もみんな笑顔。混雑はしているけれど、そこらじゅうに幸せな空気感があふれているようで気分がいい。

ただもちろん、屋台でつまみを買って片手にそれを持ち、もう片方の手にチューハイ、それらを落とさないように気をつけつつ、そのへんの道端に突っ立ってひとり食べるというのは落ち着かない。酉の市の空気感をじゅうぶんに堪能したら、さて、今夜の酒場を探すことにしよう。

たどり着いたのは……

にぎやかな中心街から少し離れ、静かな横丁を歩いていると、1軒の店が気になった。のれんに書かれた「螢」が店名だろうか。道路に面して解放された店内を見ると、なんとカウンターがわずか3席。サラリーマンの先客がひとり飲んでいるようだから、酒場であることには間違いないんだろうけど。酉の市に合わせてか、店前でテイクアウトフードも2種類販売されている。

立ち止まって眺めていたら、小さなカウンターのなかから、ママが「どうですか? 美味しいですよ!」と声をかけてくださった。並んでいるのは、上海風のお茶ゆで玉子「茶葉蛋(チャーイェータン)」と、サクサク食感の中華風パイであるという「盒子餅(フーツービン)」の2種類。鍋からは八角の香りが立ち上り、たまらなく食欲をそそる。

すかさず、「ひとつずつください。それから、ここで飲んでいくこともできますか?」と聞いてみると、もちろんとのこと。よし、今夜は異国情緒あふれる、この店で飲んでいくことにしよう。喧騒の酉の市からの、小さな中華酒場。予想もしていなかった流れに身をまかせる感じがなんとも心地いい。

お茶色に染まった茶葉蛋は、上海出身のママの得意料理だそう。あっさりとした塩気と八角などのスパイス、お茶の香りのハーモニーが絶妙だ。盒子餅は中国のなかでも東北料理に属するものらしく、にら、玉子、はるさめの入った中華風のパイ。これまたいい味わいで、注文したプレーンチューハイとよく合う。

先客の男性は、家や職場が近いわけでもないけれど、以前に偶然入ったこの店の雰囲気、料理、なによりママの明るいキャラクターに惹かれ、週1のペースでここに通っているという。店はこの場所で始め、もう12年目になるそうだ。用事があって練馬へ来ることは少なくないけれど、こんな店があることにはまったく気がついていなかったな。


あまりにもいい気分で、紹興酒をおかわりし、壁に貼ってあったレギュラーメニューも頼めるかどうかを尋ねてみると、「今日は酉の市用の営業だから、やってないのよ」とママ。それでも親切に「なにが食べたかった?」と聞いてくれ、「僕、ピータンが好物なんですよ」と答えると、「あ、それなら切るだけだからできるよ!」と。ありがたい。

ねっとりと旨みの濃い黄身と、ぷりんとした食感の白身。妙にうまいピータンだ。シャキシャキとした白ねぎのアクセントもすごくいい。これをつまみにちびちびとやる紹興酒が止まらなくなり、思わずおかわりの杯を重ねてしまった。

しばし同席し、何気ない話をあれこれさせてもらった先客のお兄さんと、「またここで会えたら乾杯しましょう」と、酒場ならではのおぼろげな約束を交わし、帰路へ。

駅へと向かう道はさらなるにぎわいとなり、もはや歩くのも困難なほどだ。これから夜にかけ、街はまだまだ盛り上がり続けるのだろう。

お祭りの夜の街

 生まれてこのかた練馬っ子の僕だから、練馬の街には古くからなじみがある。けれどもそんな街は、お祭りの夜というだけで、ここまでいつもと違う、もはや“大サービス”とも言える華やかな表情を見せてくれる。

そしてふわふわと半分夢心地になりながら歩いていたらたどり着いたのは、超ディープな本格中華酒場。紹興酒の杯を重ねるほどに、一体ここはどこなんだ? という思いが募り、なんとも愉快な夜だった。

街の、そして酒場と出会う旅の懐は、どこまでも深い。