純喫茶や猫をはじめ、こよなく愛するものを惜しみなく発信するモデル・文筆家の小谷実由。「好き」の気持ちを大切に日々過ごす彼女が今、無我夢中で収集するほど偏愛しているのが<櫛>。その数は200本到達目前、そんな彼女が虜になる理由とは……? 

お気に入りが少しずつ増えていく充足感

前回は櫛を収集する者として、櫛との出会いについてお話しました。あれから、またさらに本数は増加中。集めていると、集まってくる。どうしてそんなに集めてるの?と聞かれることは多々あります。お気に入りのものが1つあったらそれでいいんじゃない?と思われることもあるかもしれません。でも私にとって櫛は、好きなデザインに出会ってしまったら、どうしても迎え入れたくなってしまう、なんだか離れられない存在なのです。新しい櫛に出会うたび、この世界にはまだまだ私をワクワクさせてくれるものがある。そんな気持ちがグングンと成長を続けるのです。

櫛を集める以前から、私は物を集めることが大好きでした。その始まりは、小学生の頃から。一番古い記憶で集めていたものは、モーニング娘。のブロマイド。お小遣いをもらっては駄菓子屋さんに通い、30円を払うと1枚買えるあのブロマイドをせっせと集めていました。いつもどこかに出掛けるときには辞書くらいの分厚さのどっしりとしたブロマイドの束をカバンに入れて持ち歩いていました(しかし別に外で見ることは特にない)。肌身離さずにいたいくらいとても大事だったし、本当は誰かに披露する機会を待っていたのかもしれません。当時は、集めたブロマイドを家で毎日のように床に広げては、メンバー別に並べて、ポーズの研究をしたり、同じ衣装別に並べたりして、メンバーごとの衣装スタイルの違いについて分析したりしていました。そして、誰に見せることもなくまた粛々と束にして仕舞うことの繰り返し。一見なんだか地味な行為だと思われるかもしれないですが、本人的には満足。日々少しづつ増えていく愛着が充足感を高めていたのです。

 

何やら楽しそうな気配を感じて我が家の猫も寄ってくる。

我が子(櫛)を愛でる、簡単3ステップ

月日は過ぎ小学生から大人になった現在の私は、アイドルのブロマイドから櫛に収集品を転向。今は一体集めて何をしているのかというと…集めて、並べて、見る。相変わらずの簡単3ステップです。

定期的にお店の棚卸しのように行うこの時間を開催するのには、必要な条件が2つ。

①天気が良い昼間であること。
陽の光が部屋に入ることによって、カラフルな色使いや柄をより鮮明に楽しむことができます。特に、クリア素材などの透け感があるものが光によってキラリとする瞬間は何度見ても楽しい。壁に反射した光をもれなく猫が追いかけたりもして、2度楽しい。

②際限なく時間を使える日であること。
置き方や組み合わせによって見え方が変わることもあるので、配置することにしっかりと時間をかけることも重要。そして、何にも邪魔されることなく気が済むまで満足のいくフォーメーションに並んだ櫛たちを眺めることができます。

いつも保管している大きな箱(IKEAで買った35cm×54cm、深さ21cmの収納ボックス)からまず全てをどさっと取り出すことから始まり、時には形別に、時には色柄別に、時にはメーカー別に(気付くと同じメーカーが作っているものを買っていることがよくあるのです)と、その時の気分に合わせて並べ、集まった数や豊富なラインナップを眺め、しみじみと櫛の美しさを堪能。一つその場に存在するだけでも素晴らしいのに、隣にまた違う「素晴らしい」を並べるとお互いがお互いを引き立て合っているように感じてしまう。その素晴らしさの連鎖がいくら集めても永遠に私の熱狂を続けさせるのだと思います。

私だけの魅惑の櫛ランド

全て髪を梳かす歯があることだけは同じだけど、持ち手部分や背の部分にハートや雫型の穴が開いていたり、波型のカットを施されていたり。歯が二重になっているもの、大きく粗いもの、梳き刄がついたもの。ラメが散りばめられてキラキラしているもの、なぜか“トロ”という名前がついていたのでマグロの刺身の色にしか見えなくなってしまったクリアレッドのもの、懐かしい気持ちを思い起こさせるヌーディなベージュカラー、はちみつのように美味しそうなベッコウ柄。果たしてこれらを一つの名称にまとめていいのかと思うほどさまざまな顔の櫛たちが存在していて、作り手の思いや用途の可能性、時代や国の文化的背景などを想像せざるを得ないこの時間が、私を夢と魔法の国に連れて行ってくれるように心を高鳴らせるのです。見たことがないデザインに出会うたびに、新しいテーマエリアが増設される、私の魅惑の櫛ランド。

 

向かって右上の赤がトロという色の名の櫛。マグロの刺身が食べたくなりませんか。

その後、せっかくのこの美しい光景を記録せずに終えるわけにはいかない!と思い立ち、写真にしっかりと収めて、また箱に戻して終了。
忙しない日々で頭を一旦リセットしたいときや、色々な情報や新しいものをたくさん目にして私が本当に好きなものは何だっけ、とわからなくなってしまいそうなとき、均一に並べられたさまざまな櫛たちを眺めながら手に取った瞬間の高揚感を順番に思い出すと、ひとつひとつの櫛から掬いあげてきた自分が感じた好きを思い出すことができます。

その好きは、子供の頃から憧れていたラメが散りばめられたクリアの色や波線の形であることも、チェンマイの雑多な市場の中でコップに挿されて唯一それだけがポツンと売られていた情景に惹かれたなんて場合もあり、櫛によって全く好きになる観点が異なり、多種多様なのです。そんな風に櫛たちとの思い出を頭の中に広げる時間は、自分の好きという想いをまっさらな気持ちで確かめられることができて、原点に立ち返るための切符のような役割をしてくれます。

このように、集めるという行為の意味を見出すようになったのは大人になってからですが、小学生の頃からやっていることは特に変わっておらず、自分の頭の中に広がる満たされる気持ちの色も同じ。ただ、今こうして自分の好きなものについて話を聞いてもらえるような機会があるのは、誰かにコレクションを披露したかった子供の頃の自分が陽の光を浴びて報われたような気持ちになり嬉しいです。髪を梳かすための役目として生まれた道具ですが、絡んだ髪を解くことに加えて私の気持ちも解いてくれているように思います。

集まり、つなぐ、櫛コミュニケーション

集めていると、集まってくる。櫛を収集することを始めてから特に感じていることです。それはもう、磁石のS極とN極のように。櫛を収集していることを知ってくれている友人などから櫛をいただくことがよくあります。シンガポール人の友人Aちゃんは東京に来るたびに、どっさりと、税関で怪しまれないのか心配になるほど(怪しまれない)多くの櫛を届けてくれます。日々、シンガポールやお隣のマレーシアなどで櫛を見かけるたびに、私を思い出して入手してくれる頼りになる櫛特派員です。自分ではなかなか簡単に訪れることができない地の櫛、そして友人の思いやりが加わったそれらは、たとえ同じ形の櫛を既に所持していたとしてもまた違う特別感に溢れかけがえのないものになります。旅先で櫛を見つけて私を思い出し異国の地から連絡をくれる友人や、SNSなどで素敵な櫛を見つけるたびにお知らせしてくれる方もたくさんいて、櫛特派員にとても恵まれている収集生活です。好きなものが誰かと自分を繋ぐコミュニケーションの一端を担っているのは、とても嬉しい発展の仕方。だから集めるのがやめられない!という理由の一つにもなっています。

 

先日Aちゃんから受け取った櫛と歓喜の私。見てくださいこの量。