高校球児ががんばる理由は「勝ちたいから」

甲子園を語る上でよく比較されるのがプロ野球。どちらも「野球」という競技は一緒ですが、その性質は多少異なるのではないでしょうか。

 

甲子園≒少年ジャンプ?

「友情・努力・勝利」

これらは週刊少年ジャンプ掲載漫画に必要な要素として語られることが多い三大原則です。勝利に向かって物語は進行していきますが、読者が最も心掴まれているのは勝つこと以上に、勝つまでの過程で育まれる友情や努力にあるように思います。

プロ野球は「仕事」です。それが全てではないですが、お金を稼ぐこと、球団に貢献することが大切であり、それらを達成するための「勝利」がなによりも求められます。

 

一方、甲子園に求められるものはまさしく「友情・努力・勝利」

炎天下の中、甲子園球場に足を運び球児を見守る観客は、なにも勝利を収めることだけを期待しているのではありません。この夢舞台に立つまでに育まれた友情や積み重ねた努力。それらが煮詰まって凝縮された時に引き起こされる「事実より奇なり」なドラマ。その目撃者になるべく人は甲子園球場に足を運ぶのではないでしょうか。

お金よりも価値がある 甲子園の土に込められた思い

甲子園で繰り広げられる数々のドラマ。中でも敗退が決まった球児たちが甲子園の土をかき集めているあのシーンは象徴的です。思わず涙を誘われることも多いのではないでしょうか。

彼らにとって甲子園の土には、「自分たちの努力の証となるものを残したい」。そんな意味を感じます。

 

甲子園で優勝すると、優勝旗・優勝杯・金メダルは贈られますが、賞金がもらえるわけではありません。高校球児たちにとって価値があるのは、勝利そのものや、その過程での努力、甲子園で戦った記録や誇りなど、無形のモノなのではないでしょうか。

 

ちなみに、はじめて甲子園の土を持って帰ったのは、1949年夏の甲子園に出場した福岡・小倉高校のエース・福嶋さんだったと言われています。

甲子園三連覇をかけた準決勝でサヨナラ負けを期した彼は、無意識のうちに甲子園の土をポケットに入れていたんだとか。福嶋さんは甲子園の土を家の植木鉢に移し、ずっと大事にしていたそうです。

甲子園の土に関しては諸説ありますが、「また来年も甲子園に戻ってきて、土を返そう」という意味合いもあるんだとか。逆に、「来年も絶対に戻ってくるから、土は持って帰らない」という姿勢の高校もあります。

高校球児にとって特別な思いが、甲子園の土には込められているんですよね。

地元を活気づける高校球児から元気を

2022年(第104)夏の甲子園は、宮城県の仙台育英高校が東北勢初の優勝を勝ち取りました。

仙台育英の選手のがんばりや応援団たちの声を枯らした応援、須江航監督の優勝インタビューは、震災からの復興途中である東北の人たちにたくさんのパワーを与えたと思います。

 

“――今年の3年生は入学した時から、新型コロナウイルスの感染に翻弄されてきました。それを乗り越えての優勝。3年生にどんな言葉をかけたいですか。

入学どころか、たぶんおそらく中学校の卒業式もちゃんとできなくて。高校生活っていうのは、僕たち大人が過ごしてきた高校生活とは全く違うんです。青春って、すごく密なので。でもそういうことは全部ダメだ、ダメだと言われて。活動してても、どこかでストップがかかって、どこかでいつも止まってしまうような苦しい中で。でも本当にあきらめないでやってくれたこと、でもそれをさせてくれたのは僕たちだけじゃなくて、全国の高校生のみんなが本当にやってくれて。"

引用元:仙台育英監督「青春って、すごく密なので」 優勝インタビュー全文 - 高校野球:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASQ8Q6GMZQ8QPTIL01M.html

決勝の翌日、仙台駅に戻ってきた仙台育英ナインを出迎えた地元民たちは、口々に「おめでとう」「ありがとう」と声をかけていました。これからの世代を担っていく東北の小学生・中学生たちにも、将来の夢に向かう勇気を与えたことでしょう。

球児たちはもちろん勝ちたい、優勝したいという一心で戦っていると思います。しかし、だからこそ一点集中で懸命に戦う姿やひたむきな努力が人の心を動かし、結果的に地元の人たちを笑顔にしているんですよね。

東北民でなくても、その事実に心動かされ感動せずにはいられません。

大人の社会に染まった心が洗われ、ピュアな時代を思い出す

社会に出て随分と年数が経ち、良くも悪くも「大人」になってしまった私は、日々否が応でもコスパの良さや効率化を求めて生活しています。

仕事でも私生活でも、最小限の労力で大きな利益を生むことを目指しているし、会社からも効率化は常に求められます。もちろん、そうでない場面もたくさんありますが…。

例えば会議などで自分の考えとは違っても、会議時間のリミットが迫っているから「ここで議論すべきでないかな」と諦めてしまったり、ある程度の評価とお給料が確約されていたら、それ以上求めなくてもいいかな…と妥協してしまったり。そういえば大人になってから、何かひとつの事に熱中して取り組むってことが少なくなった気がします。

 

一方で甲子園で戦う球児たちからは、そんな大人にとっては当たりまえの「効率化」といったものが一切感じられないことも魅力なんだと思います。

甲子園で優勝する、ただその一点のために毎日地道な練習をおこなう高校球児。遊びたい年頃にも関わらず、早朝から夜遅くまで練習漬けの毎日。

テレビでも現地でも、高校球児たちを応援することで自分もその一員になっている気がして、自然と身体に力が入って声を上げてしまいます。

 

また、「夏」の甲子園は、その季節も懐かしさや切なさを後押しします。

子どもの頃の長い夏休み、暑くても汗だくでも、時間を忘れて外で遊んでいたそんな日々。大人になった今では「熱中症が」「疲れが」と言ってしまいがちですが、そんなことを気にしなかったあの時に戻りたいと、ふと思うこともあります。

だからこそ、過酷な環境で戦う球児たちのひたむきさに、かつて色んなことに熱中してキラキラしていた頃の自分を思い起こすのかもしれません。

元高校球児のプロデビューは気にはなる

高校野球・甲子園が大好きですが、甲子園で活躍した選手たちの「その後」はやはり気になるものです。

大学野球へ行くのか、ドラフト指名を目指すのかなど、選手たちのその後がニュースになれば思わず見入ってしまいます。夢を叶えてプロに入団した選手たちのデビュー戦など、応援した選手であればあるほどその後の活躍は気にはなるもの。

 

甲子園で活躍した選手たちが、のちに同じ球団の仲間になったり、ライバル球団に入団して数年後に再度対決したりなど、「エモい」展開も期待しています。

有名どころだと元日ハムの斎藤佑樹選手(早稲田実業)と元楽天の田中将大選手(駒大苫小牧)とか。

つい最近だと、花巻東高校出身でどちらもメジャーリーグに入団した、大谷翔平選手と菊池雄星選手の直接対決は最高にエモい瞬間でしたね。

そんな「ドラマの最終回」の続きをプロの舞台で期待するのは、球児のストーリーが繰り広げられる甲子園で応援したからこそ。

 

一方、そのままプロ野球でその選手を応援し続ける気持ちはどこか湧きません。それはきっと甲子園を「卒業」したという感覚だから。私にとって甲子園のドラマは甲子園で完結しているのです。

高校球児のすべてが詰まった場所が甲子園

甲子園にはプロ野球とは違った魅力があります。毎日過酷な練習に身を投じて、仲間や監督とともに力いっぱい「勝利」を目指す姿に感動を覚えます。

日々大人の世界で消耗している私には、コスパ度外視で泥だらけで目標に向かってがむしゃらに努力している球児の姿が眩しく美しく感じるのです。

野球が好きならプロ野球を見ても楽しいはずですが、「甲子園だから好き」と思うのはその純真さに触れられるからだと思います。