考え事をする女性

「推し変」「担降り」ってネガティブに聞こえませんか?

SNSでファン同士交流するとき「○○担当」「○○担」と、自分の名前の後ろに応援するアイドルをつけることが多いですよね。これは「○○の応援を担当してるよ!」とアピールするために使われ始めた言葉です。

同じグループのアイドルが好きな人を見つけやすかったり、推しが同じ人を見つけやすかったり、SNSでの交流に限らずリアルでもよく使われていますよね。

 

だからこそ目立つのが「推し変」「担降り」

「推し変」はその名の通り「推しを変える、変更する」、「担降り」は「応援担当を降りる=ファンをやめる」という意味です。

こうしたファンの「担降りブログ」や「担降り宣言」は共感や反感の声が相次ぎ、炎上したり物議をかもしたりします。中でも、するどい考察を交えた「担降りブログ」や、長文のコメント画像を載せた「担降り宣言」は注目度も高くなり、ファンの間で大きな話題になることもあります。

一途に応援しているファンからすれば「そんなのファンとは認めない!」となりますし、どちらかというと「推し変」や「担降り」はネガティブなイメージを持たれやすいかもしれません。

 

でも、実際に紐解いていくと「推し変」や「担降り」にはいくつかのパターンが存在していて、それらの性質は大きく異なるように思います。

指で×印を作る女性

アイドルのマーケティング対象から外されてしまったパターン

まずは、ときに物議をかもしているネガティブなパターンから。

 

「カッコいい!好き!」と夢中になって応援し続けているうちに、「あれ?」と違和感を覚えるようになってきます。最初は些細な違和感かもしれません。些細過ぎて気づかないかもしれません。でも、時とともにその違和感は大きくなり、最終的には熱が冷めていくのです。

 

なぜこんなことになるのか?それは、推しや推しのグループが以前と変わったから。

といっても、人間性が変わったわけではなく、売り出し方やステージが変わったということです。

 

例えば、アイドルグループのデビュー直後は、まだファンの数も露出も少ないですよね。だからこそアイドルたちは少ないファンを大切に思い、ファンを喜ばせようと全力でがんばってくれます。そして、限られた露出の機会には、存分に魅力をアピールして新たなファンを獲得していくでしょう。

つまり、この段階でのアイドルのマーケティング戦略は、既存ファンの満足度アップと新規ファンの開拓です。

すでにファンでいてくれる人たちには、「もっと成長するよ!見守っていてね!」と行動・言動で示し、まだ自分たちをあまり知らない人たちには、「自分たちはこんなグループです」と魅力を伝えていくのです。

こうして活動しているうちに、着実にファンを増やし、未熟さが残る初々しいグループから、多くの人が知る人気グループへと成長を遂げるのです。

 

さて、こうなると先ほどお話しした「違和感」を覚えるファンが出てきます。

人気が出るのは嬉しい、そうなるように応援しているはずなのに…。

コンサートのチケットがなかなか当たらない。
ドームは嬉しいけど3階席は遠すぎる。
なんだかテレビ慣れしてきた?
もっとおふざけキャラが見たいのに。

「昔の方が良かった」と。

実は、こう思った時点で、すでに自分は推したちのマーケティング対象外になっているんです。

アイドルたちは、自分たちを知ってもらう段階を経て、広く世間に受け入れられていく段階へとシフトしていきます。

いわゆる「国民的」といわれるグループは、落ち着いて見ていられる存在ですよね。もう多くの人が知っているので、あまり強く個性をアピールする必要がなくなります。「万人受け」というと言い過ぎですが、それに近いものがあるでしょう。

推したちが活躍するステージが変わり、マーケティング戦略が変わっていくことで、自分がいつの間にかその対象外になっていた、それが違和感の正体であり「推し変」「担降り」の背景です。

 

ただ、「昔の方が良かった」と言って離れていく人を良く思わないファンがいるのは当然です。なぜなら、今もファンでいる人たちは、今の推しも好きだから。推しを否定されたように感じてしまうのは無理もありません。

だからこそ、「推し変」「担降り」をネガティブに感じ、物議をかもすことにもなるのです。
 

手で作ったハート

自分の成長によりアイドルに求めるものが変わったパターン

先ほどはアイドルが変わったパターンでしたが、自分が成長することで「推し変」「担降り」に繋がるパターンもあります。成長過程でアイドルに求めるものが変わることが理由なので、決してネガティブなことではありませんよね。

 

疑似恋愛枠としてのアイドル
物心がついてから彼氏ができるまでの間は、アイドルがときめきをくれる存在。「カッコいい~」といちいちドキドキして、テレビや雑誌を見る時は、まるでデート中かのような…。手の届かない存在であることは薄々分かりながらも、純粋に好きで、純粋にときめていました。

男の子も女の子もみんな友達だった幼い頃、初めて異性として惹かれた存在がテレビの中のアイドルだった、というのは私だけではないと思います。

「こんな人と付き合いたい」というかわいい願いが発展し、「もしこの人と付き合ったら…?」という感情も生まれてきます。あり得ないと分かっていても、想像や妄想は自由ですよね!しばし現実を離れ、アイドルとの疑似恋愛を楽しむこともありました。

もちろん、こうした経験があってもアイドルにハマっていく人ばかりではありません。でも、のちにアイドルオタクになる人の多くは、この小さな恋心がきっかけになっているのではないでしょうか。

 

 

人生伴走枠としてのアイドル
幼かった私も、さまざまな体験をして知識と経験を積みながら成長してきました。少しずつ大人の階段を登っている中で、異性に対する感情もシンプルなものから徐々に複雑になってきます。

小学生の頃は足が速い男の子が好きでしたが、徐々にそれだけで人を好きになることはなくなってきます。その人の性格や考え方など、自分の持つ価値観と近い人に惹かれるようになりました。

このように自分が変わったことで、アイドルに求めるものも変わりました。以前は空想の世界で疑似恋愛を楽しんでいましたが、今度はもっと現実的です。

あの人ががんばっているから私もがんばろう。
新曲を聞けたから明日もがんばれる!
彼の仕事に全力で取り組む姿勢を見習いたい。
落ち込んでるときにこの曲に励まされた。

自分の年齢や経験値によって感じ方はさまざまですが、推しであるアイドルの存在があるから自分の人生を楽しくがんばれるようになりました。一緒に走ったり、引っ張ってもらったり引っ張ったり。

この頃のアイドルは、喜怒哀楽すべての感情に寄り添って、ともに人生を駆け抜けてくれる存在でした。

 

 

青春追体験枠としてのアイドル
観た年齢によって感じ方が変わると言われているドラマや映画ってありますよね。アイドルも同じで、キラキラとステージの上で輝く姿を見て湧き上がる感情が幼い頃と大人になってからで変わるのはごく自然なことです。

社会人になって目まぐるしく日常を過ごしているうちに、何か大きなきっかけはなくとも少しずつ「夢を叶えたい」という感情が薄れていく感覚を味わいました。否が応でも現実的になり、良くも悪くもすっかり社会人になったんだと思います。

しかしアイドルはステージに立ち続けるエンターテイナーである限り、常に「夢」を追い続けその過程をファンに提供し続けます。

「仲間と夢を掴みたい」「最高の景色を見たい」「応援してくれている人を幸せにしたい」

アイドルから紡がれるこれらのまっすぐな言葉は、もう日常生活の中ではあまり生まれることのない眩しい感情を思い出させてくれます

目標に向かってがんばること。仲間と励まし合うこと。「こうなりたい」と強く思ったこと。

 

アイドルの階段を駆け上がる彼らは、青春時代を全力で駆け抜けた当時の自分と重なるものがあります。かといって、「自分もまた彼らと同じように」とはいきません。

だからこそ、夢を語り、仲間と手を取り合って輝いている姿が見たいのです。私の青春時代は過ぎてしまいましたが、アイドルのキラキラに触れて癒され、元気をもらうそんなことをアイドルに求めるようになりました。

 

私だけではなく人は常に変化していて、その時その状況で必要なものを求めてしまいます。一見、自分勝手なようにも感じますが、これはごく自然なことではないでしょうか。 

ペンライト

アイドルに対してのスタンスの変化

人生は、この3種類の趣味を持っていると豊かになるといわれています。

  • 受動的
  • 能動的
  • 創作的

多くの趣味は「受動的」から始まるのではないでしょうか。たまたま何かを見て、聞いて、興味を持つところがスタートです。私がアイドル好きになったのも、偶然テレビで見たことがきっかけでした。子どもだったこともありますが、その後もしばらくはテレビや雑誌で見てキャーキャー騒ぐ応援スタイル。つまり受動的、受け身ですよね。

 

受け身で楽しんでいると、それだけでは飽き足らず自ら動き出したくなったり、新しい何かを創り出したくなったりします。つまり、受動的な趣味が能動的、創作的な趣味へと発展していくということです。

受け身でいるよりも頭を使って体を動かさなければなりませんが、それができるのは、まだまだこれから先の余白や可能性があるから。デビュー前のグループでも人気が出るのは、まさにココにマッチしているからだと思います。

 

だからこそ、徐々に高次の趣味を追い求めて、アイドルに関するスタンスが変わっていくのです。

指ハート

推し変・担降りではなく「卒業」です!

「推し変」「担降り」にはネガティブな印象がありますが、その背景を分解して紐解いていくと、さまざまな理由やパターンがあり、それは自分が成長していく上でごく自然なことだったりします。

もはや「推し変」「担降り」ではなく、旅立って行くという意味では「卒業」の方が正しいのかもしれません。