今でも一番お気に入りのコートは、お母さんからもらったお下がりのエコファーコート。

それは母が20歳のとき、ロンドン留学中に購入したもの。母は働きながら、自分で学費を稼ぎ、ロンドンの大学に通っていた。

その当時、アジア人女性としてロンドンで暮らすこと、働くこと、大学に通うということは、今の私のNYでの暮らしよりももっと試練の多いものであったに違いない。人種差別は今も根深い問題だけど、きっとその当時はもっと理解が浅かっただろう。

 

私は今、連絡が取りたいときにすぐに日本の家族に電話もメールも出来る。母のときはメールなんてないし、国際電話は異常に高かった。4年間で1度しか、母はお母さん(私のおばあちゃん)に電話が出来なかったらしい。異国でのそんな暮らしは、到底想像も出来ない。

母はとても強い女性である。その母が、自分で働いてロンドンで買った茶色いコート。きっとそのコートを着て泣いた日もあっただろうし、幸せな時間も多く過ごしたんだと思う。

 

ロンドン留学後一度日本に行き、今度はアメリカ留学中に私の父と出会い、オレゴン州でも着ていたコート。そして家族みんなで引っ越した日本にも、連れて行かれたそのコート。私が受け継いだのは、今から7年前。すっかりVintageとも言える時間を母と過ごしたそのコートだけれど、全くそんな風には見えない、とても状態の良いコート。母の沢山の思い出が詰まったそのコートを、私は日本でも沢山着て、そして今度はNYに連れてきた。母のときとは比べものにもならないかもしれない、だけど私のNYでの暮らしも色んなことが起きる。

アメリカで初めて仕事に就いた。言語の壁だけでなく、全く異なる常識や文化の中で働くことはもちろん大変だっ
た。帰り道の地下鉄で何度も泣いた(地下鉄で泣いてはじめて、本物のニューヨーカーになる、なんていう英語の言い回しもあるけれど)。はじめてアメリカで家探しもした。家の探し方はもちろん、ルームメートがいる環境も、日本の何倍もする家賃も生活費も、何もかもがそれまでと違った。日本だったらスムーズに出来る小さなことが、何時間も何日もかかった。毎日生きることに精一杯だった。NYで暮らして4年半が経つけれど、今でももちろん、しょっちゅうカルチャーショックに出会う。それは私をぐんと成長もさせてくれるし、ときに心をポキンと
折ってくる。

このコートを着ている日に泣いたこともあっただろうし、そしてとても幸せな日も沢山過ごした。

ベレー帽と赤いマフラー、偶然にも、私と母は同じようなスタイリングをしていた

 

こんなに母と私の思い出が詰まったコートよりも大切な洋服は、この先も現れないと思う。私
がVintageや古着を好きなのは、こういう理由。
長く誰かに愛されたお洋服には、きっと誰かのエピソードがぎゅっと詰まっている。その想い
を受け継ぐように大切にするのが、古着の楽しいところ。
私のパートナーは古い家具が大好きで、今一緒に住んでいる家の家具やインテリアのほとん
どは、パートナーの家族から受け継いだもの。

 

どの家具にもインテリアにも、おじいちゃんや、叔母さんや、ひいお婆ちゃんや従兄弟や兄弟の思い出話が詰まっている。昔の家族写真に、時代を超えて同じ家具が写っている。昔のものは、良く造られている。そして、想いが受け継がれたものは大切に大切にするから、より長持ちする。こういう循環を続けて行きたい。

 

セカンドハンドや、古着/Vintageはとても楽しい。

 

ベイカー恵利沙

オレゴン州と千葉県育ち。
モデルとして活動をはじめ、ファッションスタイリスト、ライターなど、マルチに活動の幅を広げる。
2017年よりニューヨークに拠点を移す。ファッションブランドとのコラボレーションを多数手掛けなが
ら、ライターとして現地の情報を発信。ファッションのみならず、サステイナブルなライフスタイルや、
ダイバースメントやインクルージョンに関する発信を行う。クリエイティブコミュニティELLEgirl UNIの
メンバーとしても活躍。

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