佐久間裕美子

文筆家。1996年に渡米、1998年よりニューヨーク在住。出版社、通信社を経て2003年に独立。政治、音楽、文学、デザインなど、幅広いジャンルの著名人・クリエイターへのインタビュー、執筆を行う。著書に最新刊の『Weの市民革命』(朝日出版社)、『真面目にマリファナの話をしよう』(文藝春秋)、『ピンヒールははかない』(幻冬舎)、『ヒップな生活革命』(朝日出版社)など。

2010年代のニューヨークでメインストリーム化した「癒し」

ニューヨークの自分の暮らしの中には、これまで常に、セルフケアの達人や、体調管理やヨガ・瞑想、栄養の知識などを指南してくれる人がいて、また近隣のコミュニティセンターなどでは瞑想や東洋医学のワークショップなどが日常的に行われていたが、ウェルネス、ウェルビーイングが一気にメインストリーム化したなと思ったのは、2010年代のことだった。現代人のストレスや孤独を懸念する声が大きくなるとともに、公共の場所や職場に癒しの場やチャンスが導入されたり、コンテンツやアプリが登場したりするようになった。

 

ちょうど自分も、馬車馬のように働いていた30代後半から不摂生がたたり、いろんなところに小さな不具合が出るようになって、アメリカの医療にお世話になることのコストの高さにおののき、セルフメンテナンスに真剣に取り込むようになった。

一度は
大怪我をして、そのリハビリ期間に、それまでは片手間にやっていたヨガを初歩からおさらいしなおしたり、食生活を見直したりもした。

セルフケアを通して学んだ体と精神のつながり

2015年頃だったか、自分のまわりで『Headspace』という瞑想アプリがプチ流行した。当時の自分はまだスローダウンの必要性を理解し始めつつも、うまく入り込めずにしばらくしてやめてしまった。3年ほど経った頃に、また自分の周りでブームが始まって、友人と共闘して再挑戦した。バディの存在が功を奏したのか、なんとか1年かけて瞑想が習慣になったところでアプリは卒業し、自分のペース、自分のやり方でやれるようになった。

イギリスのヘッドスペース社によるメディテーションアプリ。瞑想の基礎を知ることができる番組『ヘッドスペースの瞑想ガイド』が現在Netflixで配信中。

不摂生や向こう見ずの結果、それなりに痛い思いを経験して学んだのは、体と精神はつながっており、片方の調子が悪いと、もう片方にも影響が出る。人間の体は、順応性が驚くほど高く、それなりに強いのだけれど、同時に、とても繊細でもある。感情の起伏やストレスは、いとも簡単に肉体に伝達されて、あちらこちらに影響を及ぼすということも学んだ。セルフケアに注力すると、それなりに効果が現れ、体調、精神の調子の制御の仕方を以前よりも習得したような気持ちになりもし、眠りのクオリティが向上したりした。

そうか、
これが、自分をオプティマイズ(最適化)するということなのだな、と納得したりもした。

コロナ禍で爆発的に存在感を増したウェルネス、ウェルビーイングのアプリ

2020年にコロナウィルスとそれに伴うロックダウン社会が始まった初期、すぐに考えたのは、自己管理のことである。自分が暮らすニューヨークは早々に危機的段階に陥り、ロックダウンが始まって、これまでお世話になってきたクリニックやマッサージに行くこともままならなくなったし、病院に行かなければならない事態を回避することが最優先事項になったからだ。それ以前に学んできたことを出動させ、自分の生活メニューを組んだ。

 

そこで存在感を一気に増したのは、いわゆる「ヘルス・ウェルネス・ウェルビーイング」(HWW)と呼ばれる領域のサービスである。体調管理、栄養管理、ホームフィットネス、ホームセラピーなど、HWWという傘の下に多くの枝葉が今、急速に伸び始めたところでもある。

 

急に在宅ワーカーを管理することになった大企業や、市民のメンタルヘルスを懸念した行政が、こうしたサービスを積極的に導入したり、金融機関がサービスのボーナスとして提供したりといったこともあって、HWWのサービスは一気に認知度を広げることに成功した。そんなこともあって、ふと見回してみると、ウェルネス、ウェルビーイングのアプリが、気がつけば爆発的な勢いで増えている。「瞑想」と一言で言っても、『Headspace』のように、日々同じスタイルの瞑想を続けていくことを軸にしたタイプのものもあれば、様々なプログラムが用意されていて、自分にあったものを選ぶことのできる『Calm』のようなものもある。不安、ストレス、モチベーション、フォーカスというように、トピックを取り揃えた『Meditopia』のようなライブラリーもあれば、初心者をターゲットにした『Ten Percent Happier Meditation』もある。

自分にあった瞑想をガイドしてくれる『Calm』。2013年にサンフランシスコで誕生。開発・配信を手がけるCalm.com社は2019年に、未上場にも関わらず、評価額10億円を超える企業となった。

2017年、ベルリン発の瞑想アプリ『Meditopia』。マインドフルネスエクササイズ、瞑想、7日間の集中プログラム、眠れない時のための睡眠導入など様々なライブラリーがある。

初心者向けの瞑想アプリ『Ten Percent Happier Meditation』。アメリカABCニュースのキャスターであるダン・ハリスが2014年に出版した、自身のうつ病やパニック発作の回顧録、それに対処するため試行錯誤の末たどり着いた瞑想のハウトゥをまとめた書籍『10% HAPPIER』をもとにPodcastやアプリが派生した。

「癒し」の機会が拡大する今、浮上する疑問

もちろんアプリだけではない。YouTubeには、いくらだってメディテーション・チャンネルが見つかるし、ポッドキャストには、瞑想界のスターたちが知恵や教えを披露している。年間を通してそれなりのサブスクリプションを払うタイプのものもあれば、広告さえ厭わなければ無料で利用することができるサービスも充実している。Netflixには瞑想番組が登場し、最近の高級車には、瞑想のアプリが搭載されるようにもなっているらしい。自分の所得、生活スタイル、用途にスタイルに合わせて、選ぶことのできる選択肢のプールは無限に広がりつつあるように思える。

『Headspace』がNetflixにて番組を配信。マインドフルネスや瞑想の基礎を教えてくれる。

しかし同時に、これで良いのか? と思う瞬間もある。自分のマインドをクリアにするために、つまり人間の能力を最適化するためにアプリやAIの力を借りるーーそれがビジネスとして成立する背景には、ベンチャーキャピタリストたちが、そこに機会を見出しているからでもある。「癒やし」の機会がこれだけ大きくなっているのは、それだけ現代人が、ストレスの高い不安に溢れた生活を送っているからでもある。

そして、
医療や行政は、こうした状況に、対応しきれていない。そこに空洞があるから、ビジネスが生まれるのである。

自分を癒すのは自分自身。自分の人生をハックするために

今、ほとんど移動をせずに、基本家の中で生活するロックダウン生活が始まってからちょうど1年が経とうとしている。登場するサービスをいろいろ試してみたが、結局、自分が続けているのは、プラットフォームはデジタルでも、スクリーンの向こうに生身の人間がいたり、バーチャルとはいえ、生きる人間たちが集合的に参加しているタイプのイベントだったりする。

 

この修業とも言える11ヶ月を経て、ひとつ確実にわかったことは、自分を癒やしたり、修復するのは、アプリではなく、自分だということだ。アプリはあくまでもツールであり、自分に向き合い、直面しなければ、ヒーリングを手に入れることはできない。AIにハックされるのではなく、AIを利用して自分の人生をハックすること、そこの軸足をしっかり持っていなければ、ヘルステックが自分たちを救ってくれることはないのだ。

Text by 佐久間裕美子 Illustration by Aki Ishibashi Lead & Edit by 飯嶋藍子