リモートワークが浸透し、公共交通機関を使うことのリスクが顕在化したパンデミック・イヤー。それは、誰とも接することなくローコストかつ効率的、さらに健康的な移動手段としての「自転車」が、これまで以上に都市生活者によって意識され始めた時代でもあります。

 

予期せず様変わりした世界と、それがもたらした人々の行動変容の中で、「自転車」というモビリティはどのように私たちの暮らしと共存していくのでしょう。

 

本稿では自転車を取り巻くカルチャーの変容、都市を走る自転車の大まかな区分、そして都市生活と自転車の関係などを駆け足でまとめています。自転車という文化そのものに興味が出てきている方や「そろそろママチャリを卒業したいけど、何を買えばいいんだろう……」とお考えの方も、ぜひご参考にしてみてください。

1.あたらしい自転車文化はどこにある?

時代や社会状況の変化とともに、自転車を取り巻くカルチャーやシステム、ビジネスといった周辺領域にも変化が訪れています。ここでは、そうした変化の只中にあって光を放つサービスや業態をご紹介。

 

【ファッション】

・街乗り派のファッションは「アーバンサイクルウェア」へ

1818年にドイツ貴族によって考案された自転車がまだ上流階級の嗜みであった頃は、ファッションといえばそのままクラシカルなヨーロッパ風、が定番。少し時代を下って自転車が庶民に身近なものになっても、例えば当時のアクティブウェアであったツイードジャケットにニッカーボッカー、ハンチングといった装いが長らく主流でした。

 

しかし、1860年代にパリで始まったロードレースの文化がヨーロッパで独自の発展を遂げるにつれて、いわゆるサイクルウェアは空気抵抗の少ないサイクルシャツやキャップに変わっていきます。20世紀後半にはシャツの素材も、メリノウールからナイロンなどの化学繊維へ。こうして、自転車レースの文化においては、ウェアの機能性が進歩していきました。

 

一方、速く走ることを目的とした機能美は、ファッションという面から見れば制約にもなります。ファッションはもちろん自由自在。しかし、スポーツサイクルが街乗りシーンに浸透していくとともに、やはり単なる普段着よりはサイクルウェアとしての機能性も求められるようになります。さりとて、ピタピタのシャツではお店や会社に入りづらい……そんな街乗り派のニーズを満たすアパレルやグッズが、最近は増えています。

 

・不動の4番、それが「narifuri」

代表的なのが「narifuri(ナリフリ)」。自転車に乗るためのスポーティな機能性をミニマルなデザインとうまくマッチさせ、街で普通にファッションアイテムとしても使えるリアルクローズに仕上げてきた、アーバンサイクルウェアのパイオニア的存在です。

 

カジュアルウェアのみならずメンズのスーツもサイクルウェアの発想で作っており、スポーツバイクで会社に乗り付けて一秒で会議に出られるといっても過言ではない完成度。ネクタイや腕時計まで作ってしまう謎の細部への情熱は、このブランドが唯一無二であり続ける理由を示しています。好きが高じて自転車ブランド「charifuri」も作ってしまった、まさに最強のトータルブランドです。

 

・ストリートの息吹を伝える「CHARI & Co.」

メッセンジャーの聖地・ニューヨーク在住の日本人が2008年に立ち上げた「CHARI & Co.」はnarifuriのようにきれい目・オールシーン対応というわけではありませんが、ストリートファッションの文脈のなかで機能性を追求する方向に完全に振り切ることでニュージェネレーションの街乗りサイクリストたちから熱い支持を得てきました。

 

ダウンに定評のあるNANGAやファッション性の高いF/CE.といった高品質なアクティブウェアとのコラボも行っており、自社製品の確かさだけでなく、その審美眼も含めて信頼度の高いブランドです。

 

・いいウェアは自転車屋に聞け

自転車乗りの格好は自転車乗りに聞くのが一番。都市を移動し、街と深く関わる街乗り自転車であればなおさら、普段着感覚のお店のほうが気に入ったウェアを見つけることができるはず。

 

そういう意味では東京の三か所に店舗を持つ「BLUE LUG」、同じく東京・世田谷の「tempra cycle」などは「まちの自転車屋」としての役割を十二分に果たしながらオリジナルのアパレルをはじめ、国内外からセレクトした他社ブランドも多数展開。

 

名古屋の「Circles」、京都の「Humhumhug」、広島の「Grumpy」といったお店も、オリジナルアパレル自体はそれほど展開がないものの、それぞれのセンスでエッジの効いたセレクトをしています。こうしたお店のおすすめする自転車の雰囲気を観察しながら「街乗り的なバイブス」を吸収していくのもいいかもしれません。

 

・エッジの効いたグッズブランドは京都から

最後に、気鋭のグッズブランドをふたつ、京都から。自転車交通が盛んであり、同時に古くから西陣や丹波口といった中心地から少し離れたエリアでコンパクトな工芸や工業が栄えてきた「ものづくりのまち」でもあるだけに、個性的でヒューマンスケールなブランドも生まれやすいのでしょうか。

 

まずはサイクルバッグの「HYNOW」。リュックの古い言い方「背嚢(はいのう)」から名前を取ったバッグは一見何の変哲もないシンプルなバッグに見えますが、U字ロックから洋服、サイクルシューズ、果てはホイールやフレームまで、自転車にまつわるあらゆるものを収納できるようデザインされた、自転車乗りのための究極のバッグです。

 

丹波口に工房を構える「TASO WORKSHOP」はメッセンジャーバッグやリュック、駐輪時のフレームガードに自転車に乗るときに裾をクリップするストラップなど、すべてハンドメイドで作っているブランド。常に各地から生地を買い付けているので、時折突拍子もない(総猫柄など)フレームガードが誕生したり、何が飛び出すかわからないところが魅力。生地やカラーを指定してのカスタムオーダーが可能なのも、ハンドメイドならではの魅力。

 

一見対極に見える両ブランドですが、「欲しいものがなければ自分で作る」DIY精神によって生まれたカッティングエッジなプロダクトは、まさに自転車乗りマインドを体現するもの。要注目です。

 

【コンセプトショップ】

・コンセプトショップの意義とは?

長らく「自転車=単なる移動手段」という扱いに甘んじてきた日本社会において、「自転車のあるライフスタイル」や「スタイルのある自転車」というものがどういうものか、まだ認知が進んでいないという状況があります。

 

そうした部分をトータルで提案するべく、各メーカーが仕掛けているのが「コンセプトショップ」。自社の製品のショールーム機能も兼ねつつ、「どのような生活の中に自転車が存在するとよいと考えているのか」というソフト面のイメージを顧客と共有していくための重要な拠点です。

 

・シマノが提案する新しい自転車ライフスタイル

ギアやブレーキといった「コンポーネント」は、いわば自転車の心臓部。その技術力と完成度において世界で多くのユーザーに支持されるシマノが東京・南青山にオープンしているのは「Life Creation Space OVE」。

 

散歩のように気ままに自転車に乗ることを「散走」と呼び、その情報発信拠点としてカフェやイベントを開催しています。驚くべきは、そのカフェのメニュー。陰陽五行に基づき旬の食材を使ったこだわりのランチや、「ひじき蕎麦」「黒胡麻豆乳うどん」といった季節ごとの本気の薬膳料理が提供される様は、どう考えてもメーカーの片手間ではありません。

 

食とは生命そのもの。どんなによいバイクに乗ってよいパーツをつけていても、エンジンである自分自身がいいコンディションでなければ意味がない。その根本を教えられるような場所です。街や食に関する話題がいっぱいのスタッフブログにも注目。

・自社製品に親しんでもらうレンタルサービス

手頃なシティサイクルを安定的に作り続ける優良メーカー「tokyobike」は、東京都内に4か所、福岡に1か所ある店舗のほか、全国の宿泊施設でも、自社製品のレンタサイクルを行っています。顧客の旅先での体験がよりよくなることで自社の自転車への好印象も抱いてもらうという、マーケティングのお手本のような施策。

 

東京・千駄ヶ谷にあるnarifuriの旗艦店「narifuri tokyo」でも、自社の自転車ブランド「charifuri」のスポーツバイクをレンタルできます。通常のレンタサイクルでは、本格的なスポーツバイクを借りる機会はなかなかないもの。スポーツバイクの購入を考えている人に、まずは乗ってもらって心理的ハードルを下げてもらうという、こちらも王道のアプローチ。

 

両社とも誠実にものづくりをしているからこそ、「乗ればわかる」という自信も伺えます。

【新ビジネス・サービス】

・自転車ライフがより快適になる新発想が続々登場

ニーズは世につれ街につれ。人と都市、そして自転車の関わり方の変化とともに、新たなサービスやビジネスの芽も生まれています。移動という、人の根本的な営みに関わる分野だけに、このなかから思わぬパラダイムシフトを生むものが出てくるかもしれません。

 

・住人は全員同好の士! サイクリスト専用マンション

2019年に東京・東砂にオープンしたマンション「ルブリカント アラカワベース」は、なんと全室にバイク用スタンドポールが設置され、トレーニングルームや洗車・メンテナンス用の共用スペースも完備された、自転車乗りにとっては画期的なマンション。

 

高価なロードバイクなどを共用の自転車置き場で雨風や人目にさらすのが嫌で部屋に持ち込むもののエレベーターが狭くて毎度難儀する……という自転車乗りも多いですが、この物件はエレベーターも自転車が二台入る特別仕様。何から何まで親切設計なのです。

 

二階には大型モニターのあるコミュニケーションスペースもあり、住人同士の交流も活発。自転車のみならず個々人の孤独感の置きどころも時に難しい都市の暮らしのなかで、新しいコミュニティのかたちを示してくれそうです。

 

・焙煎したてのコーヒーを自転車で毎週配達

東京都内で焙煎したフェアトレードのコーヒー豆を毎週自転車で配達してくれる、もともとはアメリカ発祥のサービスが「BICYCLE COFFEE」。ここ数年のサードウェーブ~スペシャリティコーヒーの流行からの流れもあり、パンデミック以降「家でゆっくりコーヒーを入れる時間が増えた」という人もいそうですが、きちんと生産者に利益還元がなされた焙煎したての豆が毎週、しかもエコな交通手段で運ばれてくるとなれば、お湯を注ぐ手も引き締まるというもの。

 

パンデミックでご近所や馴染みの店など「お金を使う理由のあるところにちゃんと使う」という、社会的消費の意識が世の中に浸透しそうな様子もありますが、その選択肢になりうる業態です。

 

・プロのメカニックによる自転車専門の洗車店

自転車というものは毎日乗っているとすぐに埃や油汚れにまみれてしまうものですが、いざ綺麗にしようとしても意外と細かいパーツの組み合わせで成り立っており、なかなか難しいもの。

 

大阪・豊中にある自転車専門の洗車店「ラバッジョ(洗濯場の意)」は、長年イタリアでプロのレースに帯同してきた腕利きメカニックのスタッフが独自のメソッドで愛車を徹底的に洗浄、傷の補修やコーティングまでやってくれるという至れり尽くせりのサービス。

 

最上級のサービスになると数万円はかかるので超高級バイクでもない限りはスタンダードなプランで試してみたいところですが、見た目もさることながら驚くほどよく動くようになった愛車に、日々のメンテナンスの大切さを痛感することも請け合いです。

・「都市の足」は定着するか? シェアサイクル戦国時代

昨今、都市部ではよく目にするようになったシェアサイクルやコミュニティサイクル。指定の手順で登録してしまえば、複数のステーションのどこからでも空いているバイクを乗り出し、行き先近くの任意のステーションに戻しておけるサービス。

 

基本的に借りた場所に返さなければならないレンタサイクルと違って小刻みな片道利用が可能なため、渋滞や混雑緩和、都市内部でのモビリティや回遊性を向上させる手段として注目されています。

 

NTTドコモと千代田区や渋谷区など全国の自治体と共同で運営する「ドコモ・バイクシェア」のように官民協働のものや「PiPPA」「COGICOGI」など民間事業者によるもの、まだ実証実験レベルのものまで、全国各地の都市でさまざまな試みが動いています。

 

便利な反面、サービスが多すぎると使うほうとしては利便性や継続性に不安があるし、手続きの煩雑さや使用マナーの向上、メンテナンスなども含め、解決すべき問題も数多く残されています。先進事例としては、ロンドンやバルセロナが比較的成功、上海やシンガポールは停滞中。さて、日本はどうなるでしょうか。

2.国内外先進都市の自転車事情は?

日本では、自転車は長らくママチャリ的な「単なる移動手段」という扱いで、軽車両扱いではあるものの法的な興味の対象にはほとんどなってきませんでした。

 

2008年の道交法改正以降、各都市部を中心に車道の左端に自転車通行のためのスペースであることを示すマークや色分けしたレーンを設けたり、交通の激しい幹線道路では歩道部分に自転車走行可能なレーンを設定し、歩行者と安全な棲み分けができるようにと徐々に改善はされていますが、あまりにも「自動車中心」に設計されてきた日本の道路事情を改善していくのは長い道のり。法令だけでなく都市の空間や構造そのものを高度に自動車に依存したものから「歩行者・自転車・自動車」の共生が可能なものに再配分していく必要があるのです。

 

それを考えるにあたって参考になるのが、国内外の先進事例。特に自転車の本場であり環境問題に熱心に取り組む国も多いヨーロッパや、高度なモータライゼーションが発達し、それゆえの問題も発生しているアメリカ、日本であれば自転車交通と観光客の多い京都において、これからの時代の変化に合わせて社会環境をデザインし直そうというコンセプトの施策が目立ちます。ここではその一部をご紹介。

 

・京都市の場合

市街地が平坦でコンパクト、絵に描いたような自転車環境である京都市。中心市街には車の入れないような路地も多く、自転車は市民生活とも、重要な産業である観光とも切り離せない存在です。

 

その京都市は2014年度を「自転車政策元年」と位置づけ、懸案であった自転車レーンの本格的な整備に乗り出しました。ここでユニークなのは、自転車レーンを一本の道単位で考えるのではなく、「碁盤の目」とも言われるほど規則的に東西南北の街区が並んだ市街地を方形の「面」の集まりと捉え、指定したエリアのすべての車道に進行方向を示す矢羽根型の自転車レーンを設置するという考え方。

 

エリア内ではどの角を曲がってもこのレーンや「曲がり角注意」の道路表示があり、他都市のように「大通りには表示があるが、路地に入ると何もない」といったことがないので、歩行者も自動車も、そして自転車に乗る人自身も、自然と「車道の左側通行」の感覚が意識に浸透します。そのエリアを順次拡大していくことで、高度に自転車交通ルールを意識するまちづくりが実現しつつあるのです。

 

また、景観保護の観点も含めた広大な地下駐輪場を設置したり、行政が「京都市サイクルサイト」というウェブサイトで施策やマナーの啓蒙に励むなど、コンパクトな都市ならではの自転車フレンドリーなまちづくりの事例が蓄積されています。

 

・オランダの場合

海抜が低く平坦な土地の多いオランダは、世界一の自転車大国であり、1930年代から自転車利用を都市政策に積極的に取り入れる自転車先進国でもあります。

 

都市インフラを管理する省庁の主導で実に3万4,000kmにわたって自転車レーンが完全整備されており、その1/4程度は車道から完全に区分された自転車走行帯や、自転車専用道路です。

 

車道での停止線を自動車より前方に設定する、自転車専用の信号機を設置する、そもそも自転車道と自動車道を立体交差にしてしまうなど、同一空間にあっても自転車と自動車の動きがバッティングする時間を極力減らすことで、お互いの安全感を担保した都市設計が実現しています。

 

また、パンデミック時代の自転車利用増加を受け、2020年11月には「2025年までに、国内46駅にロボットリフト付きの駐輪場を整備し、収容能力を現在の50万台から60万台分とする」という方針も発表。公共交通機関との連携も強化する方針を示しました。

 

インフラだけでなく、社会制度の面でも自転車利用を積極的に行う企業への税優遇や、自転車教育に対する補助金を積極活用。行政主導でよりコンパクトなモビリティ国家へと進化を続けています。

 

・コペンハーゲン(デンマーク)の場合

オランダと同じく平坦な地形の多い北欧・デンマークの首都コペンハーゲンは、2017年の調査では全通勤のおよそ6割が自転車を使用している自転車都市。

 

世界的な潮流を受け1960年代には自動車中心の都市政策にシフトしましたが、70年代のオイルショックで方針を大転換。80年代以降は自転車を中心としたまちづくりを進めてきました。

 

公共交通機関への自転車の持ち込みは当たり前で、自転車通行レーンや自転車専用信号も完備。このあたりはオランダと同じですが、ラッシュ時に時速20キロメートルでの走行を続ければ赤信号で停まらないですむ「グリーンウェーブ」というシステムがあったり、周辺都市とコペンハーゲンを結ぶ高速自転車専用道路の建設を予定しているなど、高速走行のできる環境も次々に整えています。それでいて自転車事故による死亡率が世界最低レベルというのも、すごいところ。

 

オランダもそうですが、自転車利用の増加は平坦地という地理的条件だけで自然発生的に起こったわけでなく、行政による適切な環境整備が「安心して乗れる都市」を作り出していると言うことができます。

 

・パリ(フランス)の場合

基本的にEU圏の国や都市は自転車レーンやルールの整備も進んでおり、都市交通において「自動車→自転車へのシフト」の意識が比較的根付いています。しかしながら、パリやベルリンといった過密気味の大都市では、やはりそれなりにストレスも溜まる状況はあります。

 

COVID-19のパンデミックは、そうした大都市の姿をも大きく変えました。ベルリンやローマ、ミラノなどでは時限的に車道を自転車専用道に作り変える大規模な都市政策が行われ、好評を博しています。

 

なかでも大規模なのが、ツール・ド・フランスのお膝元であるパリ。東京でいう臨海副都心のようなエリアの車道を全面的に自転車専用道路にしたり、自転車道専用の照明や標識も新設。さらには、このエリアの地下に広がる広大なジャンクションのようなエリアをすべて自転車専用にしてしまったのです。

 

これほどドラスティックでスピーディーな用途の変更はなかなか見ることができませんが、背景にはとにかく「経済の流れを止めたくない」という行政のコンセプトがあったようです。

 

ほかにも、フランス政府が自転車の修理やメンテナンスのために数十億円規模の補助金を用意したり、低所得世帯に向けた電動アシスト自転車購入の補助金を出したりと、社会保障の対象にも。パンデミックを奇貨としてより自転車中心の社会設計を推し進めようとするヨーロッパの実験精神からは、これからも驚きの政策が生まれるかもしれません。

 

・ニューヨーク(アメリカ)の場合

名物といえば渋滞、というほど、市内の自動車交通量が多いニューヨーク。映画で見た、狭い街区に摩天楼がひしめき合い、その間をメッセンジャーが行き交う……というイメージをお持ちの方も多いと思います。実際、1990年代初頭まではそのような感じで、自転車レーンはあるものの申し訳程度という状況でした。

 

そんなニューヨーク市は1997年に「市内に1,450kmの自転車道を作る」というマスタープランを発表。当初は自動車の車線を一本減らしてマーキングしただけの自転車レーンを整備するという東京と大差ない施策でした(しかしながら、その政策は市長が何代変わろうとも継続・発展され、後述のような変革につながっているのが重要です)。

 

しかし、2007年に「街路が変われば、世界を変えることができる」という言葉を掲げてニューヨーク市交通局のトップに就任したジャネット・サディク=カーンの施策で状況は一変。

 

彼女は6年間の任期の間に、街路空間の大規模な「再配分」を行いました。大渋滞の代表格だったブロードウェイやタイムズスクエアを歩行者のためのスペースを中心に再構成し、路上の小さなスペースに「プラザ」と呼ばれる、地元の人がテラスを置いたりくつろいだりすることができるスペースを整備。モビリティに関しては自転車レーンをパーキングスペースで車道と隔てる構造にする(自動車は路肩でなく、車道と自転車道の間に停める)ことで安全性は飛躍的に高まりました。

 

また、駐輪スペースも同時に拡充。市内のあちこちに駐輪場や、自転車をくくりつけるラックを整備し、盗難が怖いという人のために「バイク・イン・ビルディングス法」を制定。オフィスなど貨物エレベーターがある建物を管理する企業に対し、自転車持ち込みを許可する義務を課しました。

 

こうしたスピーディーな施策には周囲の抵抗や戸惑いもありましたが、「ストリートファイト」とも呼ばれた果敢な態度で、「街をクルマから人の手に取り戻す」ための実験と実装を短期間に繰り返し、ニューヨークを人と自転車に優しい都市にガラリと変えてしまったのです。

 

一人のパワフルなヴィジョナリーによって短期間に事態が改善したという特別な条件はありますが、高度に発達しきって飽和状態にある自動車優先社会のパラダイムを「どのような社会に生きたいか」という観点からヒューマンスケールなものに再定義できたという点で、日本の都市政策も非常に学ぶことの多い事例です。

 

・ポートランド(アメリカ)の場合

基本的には完全な車社会といっても過言ではないアメリカにあって、自転車フレンドリーな街として有名なのがポートランド。周辺には大小の自転車関連メーカーやフレームビルダーも多く立地し、緑が多く美しい街並みも相まって自転車愛好家の聖地となっています。

 

人口わずか60万人の街に地元のコミュニティが何十年もかけて整えてきたサステナブルな文化と、自転車の相性は抜群。しかし、1990年の時点では、自転車レーンなどの走行空間はまだわずか120km程度でした。それが現在は約500kmにまで延長されています。


ポートランドでは官民一体となって、走行空間や駐輪スペースなどインフラ面の拡充はもちろんのことながら、街の中心部への自家用車の乗り入れを規制したり、時速30km制限を課す「グリーンウェイ」を整備したりするなどして、老若男女が誰もストレスを感じずに自転車に乗れるまちづくりを推進。

 

2010年には「3マイル(約4.8km)以下の移動なら自転車のほうが魅力的になる都市」を目指すことを宣言し、安全な都市づくりと細やかな自転車交通ネットワークづくりを通じて、自転車に乗ってみたいけどちょっと不安……という気持ちだった人が「乗りたい気持ちを抑えられない」(Irresistible、と行政文書に表記)ようになって、結果的に自転車利用者が増えるという状況を意識的に作っています。

 

インフラやアーキテクチャを完璧に整備することだけでなく、安心安全を求める人間の感情や心理の柔らかい部分へのアプローチをより明確に行っているのは、なかなか興味深いところです。

3.自分に合う自転車はどれ?

左からロードバイク、BMX、e-bike

一口に「自転車」といっても、そのスタイルも本来的な要素もさまざま。ここでは、街乗りにも転用できそうな自転車の中から大まかな区分を挙げていきます。

 

・ロードとクロスはどう違う?

「ロードバイク」というとき、狭義には漫画『弱虫ペダル』でもおなじみの「ロードレーサー」を指します。前傾姿勢を作るためのドロップハンドルを思い浮かべる人も多いでしょう。

 

本来は開けた舗装路を走るレースのための自転車なので、空気抵抗を極限まで少なくしたフレームワーク、ペダルを踏む力を無駄なく車体に伝えるため足を固定するビンディングペダル、高速走行のため推進力をギリギリまで突き詰めた極細タイヤなど、本気の走りでこそ力を発揮する仕様の数々は、信号だらけ・車だらけで段差もいっぱいの日本の都市と相性がいいとはあまり言えません。

 

19世紀ヨーロッパの上流階級文化に源流を持つアカデミックでストイックな様式美がロードレーサーの魅力でもありますが、ストレスの多い都市部でどうしても街乗りしようと思うなら、安全のためレースに出るようなキツめの前傾姿勢でなくサドルを少し低くしてゆったりと構え、走行には細心の注意を払う必要があります。

 

普段着の街乗りや通勤にしか自転車を使わないという方には、もとはロードレースのトレーニング用にロードレーサーよりタイヤやフレームを一段太くしたことで不整地での走行にも対応した競技用自転車「シクロクロス」や、それをもっと全方位環境仕様にした「オールロード」、さらにハンドルバーをフラットにした「クロスバイク」あたりが安定走行もでき、ちょうどいいかもしれません。

ロードバイク

・オフロードもオンロードも走るなら

ロードバイクから派生し、近年熱い注目を浴びるのが「グラベルバイク」。太いものではロードレーサーの倍ほどもある極太タイヤで土手やグラベル(砂利道)、砂浜といった未舗装路を走ることを可能にしたバイクです。

 

もちろん街乗りも可能で、細いタイヤを履かせればロードやクロスにも早変わり。フレームも頑丈なのでフロントやリアに荷物をくっつける拡張性を担保でき、ブレーキも反応のいいディスクブレーキがついているものがほとんどなので、最近はこれを1台目にする人も増加中。ロードより一段直径の小さい「650C」と呼ばれるタイヤをはき、ハンドルバーに大きめのバッグを取りつけたりして安定感や利便性を増す組み方をしている人も多いようです。

 

そんな新興勢力のいっぽう衰えぬ人気を誇るのが、山道を走る「マウンテンバイク(MTB)」。太いブロックタイヤやサスペンションといった独特な構造で衝撃吸収性をしっかり持たせ、フラットハンドルで取り回しやすくできています。ロードバイク系のパーツとMTB系のパーツは元来まったく違う設計思想で作られてきましたが、近年の用途の細分化・多様化によってその融合も見られています。

 

・ちょうどよく走る「コミューターバイク」という選択

ここ数年で一般的になってきた用語で、レースやアクティビティではなく「街を走って快適で心地よく、安全である」という思想のもとに組まれるバイクの総称です。

 

そのため、たとえば「コミューターバイク用のフレーム」といったカテゴリがあるわけではなく、スピードを重視しないため上体を起こし気味の楽なポジションを取ったり、ギアをシングルギアにしたり、荷物を積むキャリアをつけたりと、要は「パーツのアッセンブルの妙」によって自分の乗り方やライフスタイルに合うよう組み上げられるのです。

 

状況が変わればパーツを組み替えることもでき、カスタムも無限。多くの街乗りサイクリストが「自分だけのちょうどよさ」を求めて選ぶのも納得です。

 

・ストリートカルチャーから生まれた自転車

街乗り自転車として名前を聞くことも多いであろう「ピスト」は、固定ギアといって、ペダルの動きがギアと完全に一致するように作られている自転車。前に回せば前に進むし、後ろに回せば車輪に後ろ方向の力がかかって減速したり、そのまま後ろに進むこともできるという、ほかの自転車とは違った一体感を味わえます。

 

1970年代にニューヨークのメッセンジャーたちが仕事上のスピードとエクストリームなスリル、そしてギアもブレーキもなく作れる安価さとメンテナンスの楽さに飛びついたことでストリートに一気に広まりましたが、もともとは日本の競輪に使う「トラックレーサー」から着想を得たもの。

 

なかでも、1960年代にそれまでヨーロッパの独壇場だった自転車界に衝撃を与えた日本の「シルク号」(片倉自転車工業)が、彼らの垂涎の的でした。

 

ピストブームは2000年代前半に日本に逆輸入されましたが、日本ではブレーキなしの公道走行はご法度。事故が多発したこともありブームとしては収束したものの、ロードバイクの様式文化やMTBの機能性、さもなくばママチャリという選択肢に飽き足らなかった若者たちに「自転車=自由なカルチャー」という方程式を強烈に残して日本のシーンに定着し、カスタム性の高いコミューターバイクへの流れへと派生もしていきました。

 

いっぽう、ピストの誕生と同じ頃にカリフォルニアで子どもたちがキッズバイクでモトクロスの真似事をし始めて生まれたのが「BMX」。ビシビシとトリックを決める快感がスケートボードに親しんだ青少年のあいだにあっという間に広まり、その波は日本へも。

 

1982年の映画『E.T.』(スティーヴン・スピルバーグ監督)には日本の桑原商会(現KUWAHARA BIKE WORKS)が作ったBMXが登場。最近ではNetflixドラマ『ストレンジャー・シングス』にもオマージュとしてBMXが登場するほどポップカルチャーに絶大な影響を与えたこの名品、今も時折復刻され、自転車ラバーたちの憧れの一品となっています。

 

タイヤの大きさも幅広く、トリックしやすい元来の20インチタイヤもあれば、ゆっくり街乗りクルーズに適した26インチのものも揃っています。シャープに走るピストとは違いますが、自由な横乗りカルチャー(サーフィン、スケートボードなど)の空気が詰まった自転車です。

BMX

・最強のモビリティ、それは小径車

小径車とは、読んで字のごとく「タイヤ径が小さい自転車」。フランス語で「Velo=自転車」であることから「ミニベロ」と呼ばれたりします。かわいらしい見た目と、コンパクトで取り回しやすいこともあり、信号待ちなどが頻繁に発生する日本の街中の近距離移動においては重宝されています。

 

そうした小径車のなかでも、折りたたみ可能なものが「フォールディングバイク」と呼ばれています。昔からある折り畳み自転車のことですが、国内外からさまざまなブランドが登場しており、とくに駐輪場ひとつとってもなかなか思うように確保できない日本の住宅事情に適していることもあって注目のカテゴリとなっています。

 

自転車で出かけて帰りはタクシーに積んで帰る、自家用車や電車で遠くの街に持っていって乗るなど、別の移動手段と組み合わせることでその利便性が無限に拡張されるのも魅力。小さいからといって侮るなかれ、走行性能のほうもそこらのスポーツバイクに負けないようなものもあるのです。

 

・デザインが追いついてきた? 電動自転車

電動自転車も、日本の都市部においては大活躍します。少し前まではママチャリに大きなバッテリーがくっついたようなデザインの、いかにも「電動アシスト自転車」といった雰囲気のものが主流という印象でしたが、最近では前後に堅牢なキャリアをつけた、デザインの洗練された電動自転車でお子さんのお迎えや買い物をしている親御さんの姿を目にすることも多くなりました。

 

そうしたデザインの進化とともに、生活上のニーズを満たすものとしてだけでなく、スポーティな形状や折りたたみタイプなど、利用者も利用されるシーンも幅広くなってきています。

 

また、海外では「e-bike」という、電気によるアシスト力とスポーツ車の性能を掛け合わせたカテゴリも大きく発達しており、日本でもパナソニックやヤマハといった、もともと電化製品も二輪車も作ってきたようなメーカーからかなり高性能なものも登場しています。

 

海外ブランドからはデザイン性の高い製品も数多く発売されており、物欲をそそられるところですが、出力などが日本の規格と違うため日本の道交法ではそのまま公道走行できない(ヘルメットとナンバープレートの必要な原付扱いになる)という事情があるため、e-bike市場においてはまだまだ国内のメーカーが優位にあります

e-bike

4.これからの都市と自転車は?

パンデミックの時代、人間の思考や動態が変わるなかで、都市と自転車を取り巻く状況にもさまざまな変化が訪れています。最後に、現状のトピックや「この先」への萌芽となりそうな出来事を少しご紹介します。

 

・世界的ニーズ増加であらゆるものが品薄中

COVID-19の感染拡大によって大きな変容を迫られた日常の行為のひとつに「運動」があります。街中のスポーツジムがバタバタと閉まり、フィットネスの場所を失った人たちが飛びついたのは、そう、自転車。

 

そうでなくても移動手段としての需要が高まっていたこともあり、2020年の春以降、国内外のフレームやパーツのメーカーが軒並み品薄に。国をまたいだ輸送に制限がかかったこともあり、この傾向に拍車をかけました。

 

たとえばアメリカのパーツブランドの場合、①まず本国で在庫が枯渇する、②生産しているのは台湾だが、そもそも台湾からアメリカに空輸ができず船便しか送れなくなった、③日本にはアメリカを経由して入荷するので、ますます入らない……といったケースが多々見られました。細かい要素こそ違えど、どのメーカーも需要と生産と輸送のマッチングがうまくいかず四苦八苦しているようです。

 

この世界的品薄は短くとも2021年の中頃までは続きそうなので、気になるバイクやパーツには、早めにツバをつけておいたほうがよさそうです。

 

・拡大するギグエコノミーと自転車マナー

ロックダウン中にお世話になることが多いのが、Uber Eatsをはじめとした宅配サービス。特徴のある四角いリュックを背負い、自転車で颯爽と街を駆け抜ける配達員の姿を目にすることが増えました。

 

デリバリーに限らず、本家Uberなども含めてこうした単発仕事を自分のタイミングで請け負う人を「ギグワーカー」と言い、ここ数年、この経済圏(ギグエコノミー)がひとつのトレンドとなっています。

 

オーストラリアでは自転車でデリバリーを行うギグワーカーに対して月額制サブスクリプションで電動自転車を貸し出す「Bolt Bikes(2020年8月にZoomoに社名変更)というサービスが登場するなど、すっかりひとつのワークスタイルとして定着した感がありますが、そこには落とし穴も。

 

輸送系のギグサービスは当然「数をこなす」ことで利益が上がる業態ですが、そのために先を急ぐあまり逆走や無理な追い越しやすり抜け、歩道を爆走といったマナーの悪い運転をするライダーが登場。交通事故やトラブルも、たびたび報道されています。

 

もちろん自分たちも含めすべてのドライバーが、短期的な利益でなく社会全体のモビリティを守るために、マナーと美意識をもって自転車に乗ることが必要とされています。

 

・これからの観光と自転車

自転車は都市を楽しむのに最も適した乗り物。移動の形態がどうしても目的地から目的地へと線形(リニア)になりがちな自動車と違い、好みのペースで街を「面」的に回遊することができるため、車のスピードでは見落としてしまうようなディテールを発見したり、一度通り過ぎた場所を再訪することも容易なコンパクトモビリティであるがゆえに、市街地エリアの観光に非常に適しています。

 

旅行者の嗜好もまた、有名観光地をバスで巡って……といったものからより細分化され、できるだけパーソナライズされた体験を求めるようにシフトチェンジしてきました。そういった意味でも、街中のレンタサイクルやシェアバイクといったコミュニティサイクルの多様なかたちの実装を目指す自治体は増えています。

 

これからはそこから一段階進み、単にインフラを整えるよりも、先に挙げた京都やポートランドの例にも顕著な「安心して自転車で回遊できるまちづくり」を実現できるかどうかが、観光地としてのホスピタリティすらも問われる一大要素になってくると言っても過言ではないでしょう。

 

・日本の都市に真のモビリティは可能か

パンデミック以前から、世界各国でIoTやAIを取り入れた都市のデジタルトランスフォーメーション(DX)や「スマートシティ」構想が浮上しているなか、日本でも、たとえば東京都のようにそこに名乗りを挙げる自治体は存在します。

 

その一環として、環境負荷の軽減やモビリティを勘案した自転車利用の促進も当然謳われてはいますが、肝心要の自転車交通ネットワークづくりすら制度面でもインフラ面でも発展途上のままでは、その実現は遠いと言わざるを得ません。

 

東京が本当にスマートなモビリティ都市になるためには、大規模イベントや首長交代のたびにコロコロ変わることのない政策継続性の確保、「ここを走っていれば安全だ」と思わせる自転車交通ネットワークの計画、乗り手の参入ハードルを下げる制度設計、短期的な経済性を優先するだけでない長期的な視野に立った都市政策……など、まったくスマートでない諸問題を、都市のユーザーである市民の視点に立って解決していく必要があります。

 

しかし、それだけの意義が自転車モビリティにはあるという認識すら社会で今ひとつ共有されていないのもまた現状。それを打破するためには、自転車を語る言葉が「利便性」だけではなく「豊かさ」の言葉になるよう、周辺文化への理解や20世紀的な経済効率を優先して構築されてきた自動車中心社会の問い直しなど、どちらかといえば人文的な領域にある知見もフル活用して、「どんな社会に私たちは生きたいか?」をみんなで考えていく必要があるのかもしれません。

 

 

Text by 幡ヶ谷純 Illustrated by 山本あゆみ Edit by 中川真、𠮷田薫(CINRA)