映画のために生き続ける名古屋シネマスコーレ支配人・坪井篤史。少年時代から映画への熱量が溢れ続け、現在も生粋の映画フリークである坪井自身のカルト映画との出会いを紐解くと、VHS偏愛からはじまる「カルト映画」の魅力に辿り着いた。コラムを読み終えた後、あなたのカルト映画探求への扉はもう開いているかも?

 

映画のために生きて、早37年

「偏愛」って言葉、好きです。僕は、小学3年生の時に映画と出会ってしまって、それ以来、映画のために生きています。そんな生活も今年で37年。世間からすると完全にダメ人間のレッテルを貼られて当然ですが、僕は全然構いません。ましてやそんなレッテル、勲章にしたいぐらいの褒め言葉だと思ってしまいます。映画に「偏愛」している証拠ですよね。原稿を書きながら、ニヤニヤしてしまいました。危ないですね、すみません。

ま、それぐらい映画に人生すべてを捧げている人間で、当然職場も映画館。世間ではミニシアターと呼ばれる小さな映画館で働いています。そして、その職場もなんだかんだで23年目。昨年、支配人にまでなってしまいました。

映画人生、イケイケどんどんです。そんなおじさんが書く原稿は「カルト映画」についてです。

 

VHSに出会って、カルト映画に出会う

「カルト映画」といっても世間一般的にカルト映画として紹介されている作品もあれば、自分で勝手に「これはカルト映画だ!」と定義しちゃった作品、めちゃくちゃ有名な作品なのに作り手がカルト映画化させようとしている作品など、人それぞれのカルト映画と人それぞれの定義があります。ですので、まずは僕自身がどうやってカルト映画に出会って、どんなことが起きたのか、なんてこと書きたいと思います。

 

映画を好きになりだした頃、毎日映画館に行きたくてもそんなに裕福な家庭でもなく、実際には週末に1回映画館に連れて行ってもらえるかどうか。そんな中、毎日映画に触れていたいと思う僕にとっての映画のオアシスは、家の近所にあるビデオレンタル屋さん(死語)でした。狭い店内に1000タイトルぐらいひしめきあっているビデオ(=VHSテープ)レンタル屋さんは、まさに映画図書館。

ゆとり教育前の世代なので、土曜日は半日学校、半日ビデオレンタル屋さん、なんて日々が続きました。そこで作ったのが、自分が借りたいビデオが返却されるまで店内でビデオを待ち続ける「ひとりビデオレンタル部」(危ないパート2)。
平気で5時間ぐらい待ち続けるのですが、その間に店内に並んでいるVHSパッケージの裏面解説を読み続けて、「こんな映画があるんだ」とよくわからない謎の映画たちに出会い始めます。

海外で製作されたニンジャ映画『仁義なきニンジャ 香港代理戦争』、あの超有名宇宙人が地球に帰って来てしまった『帰って来たE.T.』、「13日の金曜日」は不吉な日だけど……次の日は? なんて映画『新・14日の土曜日』(たぶん普通の土曜日)、そして『ロボコップ』がいるなら『ロボポリス』など、駄洒落のようなタイトルの謎のカルト映画以下の作品たち。
どの映画も実際に観てみると、とことん酷いものが多いのですが、一方で作り手は映画が大好きで映画を偏愛しているんだなーと感じるほど、映画愛に溢れていました。

例えば『ロボポリス』なんかは『ロボコップ』があったから日本のビデオ会社が買った作品だと思います。しかし、観てみると『ロボポリス』も意外と頑張っていて、予算が『ロボコップ』並だったら、本家越えるのでは! なんて思ったり……。でもやっぱりストーリーはキツイし、こればかりは才能なので仕方ない。

何度も言いますが映画の出来は酷いです(笑)。

 

そんなVHSきっかけで出会ったカルト映画以下の作品たちからちゃっかり影響を受けてしまい、僕自身はVHSにも偏愛してしまい、VHSだけが暮らせる専用部屋も借りてしまい、今では約1万本の家族が一緒に暮らしています。僕にとってはVHSも擬人化してしまうところがあり、これも危ないですが、お許し下さい。

 

VHSたちがひしめきあうアパートの一室

 

観客を熱狂させる代表的カルト映画

そして、僕自身も代表的なカルト映画が起こすいろいろな出来事に遭遇します。

今はちゃんとソフト化されたのですが、昔は映画館でしか体験できなかった日本のカルト映画『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』、監督はカルト映画の帝王・石井輝男監督です。以前、僕の職場であるシネマスコーレでも上映する機会がありました。上映すると毎回必ず満席になる、と噂を聞いていたのですが、これ、本当でした。当館の上映でも平日にもかかわらず満席。しかも若いお客様が多く、カルト映画は観客を熱狂させられることができる“文化”だなと感じました。この作品は映画館でしか観られない貴重価値、それとインパクト大なタイトル、超衝撃のラストシーン(場合によっては館内で拍手が起こります)など、カルト映画の代表作と言われる理由がよくわかる1本です。現在はいろんな環境で観られる作品ですが、いつか皆さんにも映画館で鑑賞をしてほしいです。

もう1本は、海外のカルト映画代表作『アタック・オブ・ザ・キラートマト』。皆さんご存じのトマトが人間を襲う、本当にどうしようもないカルト映画です。これに関しては、いろんな人が影響を受けて、後にいろんなことが起きたカルト映画であると言っていいかも。
ひとつはティム・バートン監督が偏愛した結果、『マーズ・アタック!』という映画を作ってしまい、もうひとつは今も愛されている証拠に人気のアニメ『チェンソーマン』のオープニングにオマージュとして描かれるなど、カルト映画が観客に与える影響は大きいことがわかります。クリエイターは特に影響が大きいかもしれません。

 

ではなぜ、カルト映画はこれほど人を熱狂させるのか。あくまでも僕の持論ですが、「なんかやばいもの見てしまった! でも誰かに伝えたい、共有したい、笑ってほしい!」など意味不明的に作品に対しての興奮度が高くなればなるほどカルト的映画になるのでは? と思います。子供の頃、明らかに過去この映画について誰かが語っているところを全く聞いたことのない、そんな新種のようなやばい映画に出会った時、「この映画、世界で知ってる人、何人いるんだろう!」なんて考えたものです。    

僕は現在、大学で非常勤講師をしているのですが、その映画講義の中で『アタック・オブ・ザ・キラートマト』を学生の皆さんに紹介すると、ウケも大変良く、こんなにくだらない映画でこの熱伝導の強さは流石カルト映画だなって感じます。

 

これも僕的、「カルト映画」

これは、自分だけがそう思うことなのですが、ちょっと前に流行った「キラキラ映画」と言われる日本の学園もの映画なんかも現代のカルト映画だなって思います。必ず決まったように親、先生不在で高校生しかでてこないうえに、絶対学園祭(必ず花火が打ちあがる)、運動会を経て、好きな男女が結ばれる。これ、描写みるとわかるのですが、これでキラキラして下さい! は、高校生のお客様しか共感できない。よって40過ぎのおじさんからしてみれば、キラキラ映画はカルト映画になってしまうワケです。

生活感は全くないのに超大恋愛ばかりで生きている主人公は素晴らしいな! とも思います。

 

カルトになれる、自分だけのカルト映画

「カルト映画」についていろいろ語りましたが、おそらく皆さんにとってのカルト映画はさまざまだと思います。超名作がカルト映画になる場合もあれば、誰も知らない映画がカルト映画になる場合も。概念としてはとても難しいかもしれませんが、自分がカルト(=狂信的)になる映画に出会った時、その作品がその人にとってのカルト映画になるんだなと思います。

もう「カルト映画」に出会っている方も、全く出会ったことがない方も、いつかあなたのカルト映画に出会えることを祈っております。

 

自ら出会いたい場合は、今回お薦めした『アタック・オブ・ザ・キラートマト』ぐらいからぜひどうぞ。面白さは全く保証しませんが、「映画ってこれでいいんだ!」って新しい発見にはなります。それもカルト映画の魅力のひとつですな。