蒙古タンメンのファンサイトである「蒙古タンメン中本の道」を運営する、中本のマニアであり「ただの客」であるづけとご。そんな“普通の客”が中本に魅了され、週5日以上もお店に通うほどに、中本に人生を捧げたきっかけやホットな偏愛エピソードを紹介していく。これを読み終えたころには、きっとあなたも蒙古タンメンのことが頭から離れられなくなるかも!?

中本の看板ともなっている代表定番メニュー「蒙古タンメン」。

「蒙古タンメン中本」というラーメン店のファンサイト「蒙古タンメン中本の道」を運営しておりますづけとごと申します。蒙古タンメン中本(以下:中本)を初めて食べてから30年以上経過し、ここ15年ほどは週に5日以上お店に通うほど虜となった中本の魅力について語りたいと思います。

赤を基調としたインパクトのある外観が印象的な中本の店舗。(写真は橋本店)

まず初めて食べたのは1989年に遡ります。現在の「蒙古タンメン中本」の前身である「中国料理中本」へ友人に誘われて行ったのがきっかけです。当時からラーメンは好きでしたが、辛いラーメンが苦手だったので「経験として食べておこう」という軽い気持ちで行きました。初めての中本の店内は、ベテランのお客さんが見るからに辛そうな真っ赤なスープのラーメンを楽しそうに喋りながら食べていて、期待が高まると同時に「食べられなかったらどうしよう」と言う不安でいっぱいでしたが、その予感が的中。5口ほどしか食べられずギブアップし、逃げるように店を後にしました。

そして私は「こんなに辛い物を美味しいと食べられるはずがない。中本のお客さんは辛いラーメンを食べられる事を自慢しているだけ。」と結論付けました。

しかし「辛いだけ」と結論付けたはずのラーメンですが、たくさんのお客さんが喜々として食べている姿が脳裏から離れないのです。「あの人達はもしかしたら美味しいと感じて食べているのかもしれない…」と、そんな疑問が沸き上がり、どうしてもそこだけは理解したいとの思いから、1ヶ月後に再訪を決意したのでした。

後になって思えばここが人生の転換点です。初回の辛さのイメージが大きく膨らみ過ぎて2回目は、「あれ? 前回よりちょっと食べられるかも」と思えたのです。そうして繰り返すこと5回目ほどでやっと看板メニューの「蒙古タンメン」を完食。食べ終えた時には得も言われぬ達成感とともに、あれほど辛かったラーメンを野菜の甘さすら感じられるほど「美味しい」と心の底から思える満足感があったのです。「辛い」から「美味しい」に変わった瞬間に、もう中本ファンとなってしまいます。中本の魅力の一つはなんといってもこの味と達成感でしょう。

先代の中本正氏によって考案された「北極ラーメン」。発売当初はその衝撃的な辛さ故、裏メニューだったという。

辛いラーメンと言うだけならたくさんありますが、中本は大袈裟な辛さには突き抜けていません。例えばハバネロやジョロキアなどの特殊な辛さの唐辛子を使った定番メニューはありません。これは開店から中本で伝統的に使用されている唐辛子を使用した辛さと美味さの限界を北極ラーメンや冷し味噌ラーメン(つけ麺で一番辛いメニュー)に合わせているのであって、ただたくさん入れて辛ければ良いというラーメンではないのです。あくまで「辛旨」にこだわっています。

そしてスープも現代風にコテコテと凝りすぎることなく、創業者・中本正氏の昭和の味を良い意味でしっかりと守ることでクドさのない、スッキリとした辛さと美味さのバランスが取れた味が確立されており、それが「一生食べられる味」であるのです。

私も稀に違うラーメン店で食べることがあり「美味しい」と感じることもありますが、「毎日食べたいか?」「朝も昼も夜も食べたいか?」と問われるとそうは思いません。でも中本はこれらの理由から毎日でも食べられるし食べたくなってしまうのです。食べやすいので食べ続けている内に味が習慣になって自然と欲するし、食べないと調子が出ないのです。朝ご飯の横にある味噌汁の様な存在でしょうか。あるのが当たり前になるのです。

中本をきっかけに繋がった仲間や白根社長と店舗前で撮影した一枚。

そして大きな魅力のもう一つは店舗で働いているスタッフさんです。中本のスタッフさんは、皆さん非常に明るく元気です。お店に入ると元気な接客の声に圧倒されます。そんな彼らがアルバイトとして入ってから社員へ登用され、数年かけて店長へ昇進してお店を任されるようになった時の感慨と言ったら親のような気持ちです。中には「結婚した」とか「子供が産まれた」など嬉しいことを知らせてくれたり、「彼女にフラれた」、「買ったばかりのバイクでコケた」など小さな悩みを言ってきてくれたり。スタッフさんとの距離が非常に近いのも中本の魅力です。

チェーン店でありながら町中華のように、「こんな時間に珍しいですね」とか「今日はビール飲まないんですか?」などお客さんに合わせて話しかけてきます。店内を見ていると、私のような常連客だけではなく初めてのお客さんにも「辛さ大丈夫ですか?」などこまめに気を遣って話しかけています。これはスタッフさんもラーメンを作っているだけではなく、お客さんと接する事を楽しみながら店舗を運営している空気がしっかりとできていて、そのことがお店全体の雰囲気を柔らかく感じさせてくれます。この、美味しく他にないラーメン、明るく優しいスタッフさん、そしてお店の雰囲気の全てが一つとなって現在の中本の魅力を作り上げているのだと思います。

甲府店・大登店長との記念写真。

中本を食べ始めた当初、サラリーマンだった私は時間の制約もあり月に1~2回のペースで食べていましたが、毎年1店舗のペースで店舗が増え、約10年後には10店舗ほどに拡大し、更に中本を食べる環境は整い「1日のどこかで中本を食べるのが当たり前」という中本中心の食生活に自然となりました。しかし、中本に行くのは会社の終業後です。人気店となった中本は、常に行列で30分以上待つことは当たり前、混んでいる時は1時間もザラです。

ここでふと、毎日30分→2日で1時間→年間だと180時間。毎年1週間以上、24時間寝ずに、中本を並んでいるだけに時間を費やしていることに気づいてしまいました。

通勤時間、必要のない会議、接待など仕事にも無駄と感じる時間はたくさんあります。限られた人生で無駄な時間をできる限りなくし、スムーズに中本を食べ続けるには自営にすることが最良と判断。数年かけて準備をして会社を退社し、今までの仕事を自分の会社で請け負う形にして完全な中本中心の生活にすることを決意しました。

それは「このまま中本を食べずに死んだら絶対に後悔する」という単純にして重い決断でしたが、「中本を食べない」という選択肢はなかったので、家族も説得し事業として独立。それからは1日の無駄な時間がなくなる事で、中本が空いている朝に食べてから仕事、余裕があれば午後のアイドルタイムにまた中本と、非常に充実した中本中心の生活が送れるようになりました。

お店で知り合った中本仲間との忘年会。

そもそも私は、ただ中本が好きで食べていただけで現在も“普通の客”です。本当に好きで好きでたまらなかったのでこの人生を選択したのですが、その後に中本が大人気となりマスコミの露出も多くなるとともに、私も中本ファンの代表としてこのような文章を公開する機会をいただいたり、テレビなどでも取り上げていただくこともあったり、人生は180度変わりました。思い返せばあの時、「辛かったからもう食べない」と2度目の訪問をしなかったら普通のサラリーマン人生を送っていたことでしょう。現在大好きな中本のラーメンを毎日のように食べ、たくさんの中本常連の友人やスタッフさんと楽しく毎日を過ごせることは、生活の一部をとっくに通り抜けて私の人生そのものと言っても良いでしょう。

最後になりますが、「飽きないの?」とよく聞かれます。全く飽きません。そんな気配すら感じません。今でも空腹になるといつも中本が食べたいですし、お財布が許せば毎日3食でも中本を食べたいです。

そしていつの日か、私の人生が終わった時には棺の中に北極ラーメンを置いてもらえればそれで幸せです。